オーストラリアのバーベキューがなぜ「平等」なのか——階級と食の政治学
英国から階級社会を継いだオーストラリアでバーベキューが平等装置として機能する。公園の無料BBQ設備・首相がBBQをする文化的意味を社会学的に読む。
オーストラリアの公園には、無料で使える電気バーベキュー台が設置されている。ボタンを押すと鉄板が熱くなり、誰でも肉を焼ける。使用後は次の人のために軽く拭くのがマナー。予約不要、使用料なし。
日本人が最初に見ると「公園に無料のバーベキュー台がある、便利だな」くらいに思う。でもこれは「便利さ」の話ではない。オーストラリア社会の中で、バーベキューが果たしている政治的な機能の話だ。
イギリスの階級、オーストラリアの否認
オーストラリアは18世紀末にイギリスの流刑植民地として始まった。初期の移民は囚人と看守。その後、自由移民が増え、ゴールドラッシュで人口が急増した。
イギリスから来た入植者たちは、当然ながらイギリスの階級意識を持ち込んだ。土地所有者と労働者、都市部と農村部、英語の訛りによる社会的位置づけ——イギリス的な階級構造のミニチュアがオーストラリアにもできた。
だがオーストラリアには、同時に「階級を否認する」強い衝動がある。囚人の子孫が多いこと、過酷な自然環境で生き延びるには協力が必要だったこと、広大な農牧地帯では地主と労働者の距離が近かったこと——これらが「Tall Poppy Syndrome(出る杭は打たれる)」と呼ばれるオーストラリア独自の社会規範を生んだ。目立ちすぎる奴、偉そうにする奴は嫌われる。
「みんな同じ肉を焼く場所」の機能
バーベキューは、この「階級を否認する」文化の物理的な表現だ。
フランス料理のフルコースは、コース構成・ワインの選択・マナーの知識で階級が露呈する。日本の会席料理も同様だ。食事の作法が「文化資本」として機能し、知らない人をさりげなく排除する。
バーベキューにはそれがない。ソーセージを鉄板に載せて焼くだけ。技術も作法もいらない。使う食材はスーパーで買えるソーセージ、ステーキ肉、玉ねぎ。高級和牛を持ってきても、鉄板の上では同じ調理法だ。ワインの知識は不要。ビールの缶を開ければいい。
この「誰でも同じことができる」性質が、バーベキューを階級の無力化装置にしている。
首相のバーベキュー
オーストラリアの首相がバーベキューをしている写真は、選挙期間中の定番イメージだ。エプロンをつけてトングを持ち、ソーセージを焼いている首相の姿は「私はあなたたちと同じ普通のオーストラリア人です」というメッセージだ。
これは日本で首相がラーメン屋に行く写真とは意味が違う。ラーメン屋は「庶民的な店に行く偉い人」という構図で、階級差が前提にある。バーベキューは「全員が同じことをする場」なので、首相が特別でなくなる。トングを持った瞬間、首相は「バーベキューをする人」の一人になる。
逆に言えば、バーベキューを拒否する政治家は「国民と同じ目線に立てない人」と見なされるリスクがある。食べ物の選択が政治的リスクになる国は珍しい。
公園の無料BBQ台: 公共投資としての食
オーストラリアの地方自治体は、公園のBBQ設備の設置と維持に年間かなりの予算を割いている。電気代、清掃費、設備の更新——ランニングコストも馬鹿にならない。
なぜ自治体がこの費用を負担するか。表向きの理由は「住民の余暇施設の充実」だが、実質的には「住民が集まる場所の維持」だ。バーベキューは1人ではやらない。家族、友人、近所の人を誘って行く。つまりBBQ設備は、社会的つながりを維持するためのインフラ投資だ。
日本の公園は「静かに過ごす場所」として設計されている。火の使用は禁止。大声も禁止。バーベキューをやりたければ有料の指定エリアに行く必要がある。公園の設計思想が「管理」に振っている。
オーストラリアの公園は「集まって何かをする場所」として設計されている。BBQ台があり、大きなシェルター(屋根付きテーブル)があり、遊具があり、犬が走り回るスペースがある。公園の設計思想が「活動」に振っている。
Bunnings Sausage Sizzle
ホームセンターチェーンのBunnings Warehouseでは、毎週末店頭でソーセージ・シズル(ソーセージサンド)が売られている。2〜3AUD(約200〜300円程度)。売上はスカウト団体やスポーツクラブなど地域のコミュニティ団体の資金調達になる。
Bunningsのソーセージ・シズルはオーストラリアの週末の風物詩であり、「バーベキュー文化の民主化」の象徴でもある。ホームセンターで木材を買って、ソーセージサンドを食べて、帰りに公園でBBQをする。この一連の行為の中に「高級なもの」は一つもない。それが心地いい。
平等の儀式としてのBBQ
バーベキューはオーストラリアにおいて、食事の域を超えた「儀式」だ。クリスマスもBBQ。Australia Day(1月26日)もBBQ。誕生日もBBQ。友人が家に来たらBBQ。
その儀式の中心にあるのは「全員が同じことをする」という原則。ホストは肉を焼き、ゲストはサラダかビールを持ってくる。テーブルの上座下座はない。全員が立ったまま紙皿で食べることも珍しくない。
イギリスの階級社会を受け継ぎながら、それを「否認」するための装置として、バーベキューは機能し続けている。肉を焼くという原始的な行為が、社会的な平等装置として設計されている。
オーストラリアで誰かにBBQに誘われたら、それは「一緒に肉を焼こう」ではなく「同じ場所に同じ立場で立とう」という招待だと思うと、断りにくくなる。