上司を下の名前で呼ぶ国——フラットな職場文化が日本人を戸惑わせる理由
オーストラリアの職場では役職に関係なく下の名前で呼び合う。この平等主義は心地よい反面、序列に慣れた日本人を混乱させる。フラットさの裏にある社会の論理。
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オーストラリアの会社に入った日本人がまず面食らうのは、CEOを「ジョン」と下の名前で呼ぶ光景だ。役職も「部長」も「課長」もない。社長が自分でコーヒーを淹れ、廊下ですれ違えば軽口を交わす。敬語と肩書きで序列を表現してきた日本人にとって、この平らさは心地よくもあり、落ち着かなくもある。
この「下の名前文化」は、ただのフレンドリーさではない。社会の根っこにある平等主義の表れだ。
「誰も特別ではない」という建国の感覚
オーストラリアの平等主義には歴史的な背景がある。出発点に階級社会への反発があり、「偉そうにする人間を引きずり下ろす」感覚が文化に染み込んでいる。突出した者を冷ややかに見る空気は、この国の社会を語るうえで欠かせない。
肩書きで人を上下に並べることは、この感覚に反する。だから職場でも、役職より「対等な個人同士」であることを優先する。下の名前で呼び合うのは、その思想を毎日確認する儀式のようなものだ。
フラットさは「楽」とは限らない
序列がないと、日本人はかえって戸惑うことがある。誰に従えばいいのか、どこまで自分で決めていいのか、線引きが見えにくい。日本では役職が「責任と権限の地図」を与えてくれたが、オーストラリアではその地図が薄い。
代わりに求められるのは、自分の意見を自分の言葉で主張することだ。フラットな職場では、黙っていると「考えがない人」と見なされやすい。年次や立場が発言を保証してくれないぶん、中身で勝負することになる。これは慣れると自由だが、最初は重い。
平等の裏にある「見えない序列」
ただし、肩書きがないからといって完全に平等なわけではない。実際の影響力や評価は、人間関係や実績によって静かに決まっている。
表向きフラットなぶん、序列が言葉ではなく空気で運ばれる。誰の意見が通りやすいか、誰がランチに誘われるか——その見えない力学を読む力が、長く働くうえで効いてくる。日本の明示的な序列とは逆に、ここでは序列が暗号化されている。
日本人がこの文化で生きる構え
最初から完璧に振る舞う必要はない。上司を下の名前で呼ぶのに抵抗があれば、慣れるまで少し時間がかかってもいい。大事なのは、肩書きの代わりに「自分の考えを言葉にする」習慣を持つことだ。
フラットな職場は、立場で守ってくれない代わりに、立場で抑えつけもしない。役職という鎧を脱いで、中身で向き合う場所。そう捉えると、この平らさは窮屈さではなく、対等に扱われる自由として効いてくる。