オーストラリアのNBN——「遅いインターネット」が改善しない構造的理由
先進国なのにインターネットが遅い。オーストラリアのNBN(National Broadband Network)が抱える技術的・政治的・地理的な問題を構造から読み解く。
この記事の日本円換算は、1AUD≒100円で計算しています(2026年5月時点)。為替は変動するので、現地通貨(AUD)の金額を基準にしてください。
Ookla(Speedtest)の2024年グローバル速度ランキングで、オーストラリアの固定回線速度は世界69位でした。日本は14位。シンガポールは5位。GDP世界13位の先進国が、インターネット速度ではルーマニア(7位)やタイ(27位)に大きく引き離されている。この状況を説明するのがNBN(National Broadband Network)の歴史です。
NBNとは
NBNは、オーストラリア全土に高速ブロードバンドを提供するための国家プロジェクトです。2009年にRudd政権(労働党)が発表し、NBN Co Limited(政府100%出資の企業)が建設・運営しています。
当初の計画は「FTTP(Fiber to the Premises)」——各家庭まで光ファイバーを直接敷設する、という野心的なものでした。完成すれば最大1Gbpsの速度が全国で利用可能になるはずでした。
しかし、2013年に政権がAbbott政権(自由党・国民党連合)に交代し、計画は大幅に変更されました。
政治がテクノロジーを決めた
Abbott政権は「Multi-Technology Mix(MTM)」という方式に切り替えました。各家庭まで光ファイバーを引く代わりに、途中まで光ファイバー、最後の区間は既存の銅線電話ケーブルやHFC(ケーブルテレビ)を使う、という妥協案です。
| 接続方式 | 最大速度(下り) | 割合(2024年) |
|---|---|---|
| FTTP(光ファイバー直結) | 1Gbps | 約18% |
| FTTC(光ファイバー+短い銅線) | 100〜250Mbps | 約14% |
| FTTN(光ファイバー+長い銅線) | 25〜100Mbps | 約28% |
| HFC(ケーブルテレビ網) | 100〜250Mbps | 約29% |
| 固定無線 | 25〜75Mbps | 約7% |
| 衛星 | 12〜25Mbps | 約4% |
(NBN Co Annual Report 2024年より推計)
「FTTN」が最大のシェアを占めている点が問題です。FTTNは光ファイバーを近隣の集線装置(node)まで引き、そこから家庭までは既存の銅線(電話線)を使います。銅線の品質や距離によって速度が大幅に低下し、ノードから遠い家庭では実効速度が25Mbps以下になることもあります。
政権交代による計画変更は、コスト削減(AUD 440億→AUD 290億の見積もり)が理由でしたが、結果として「全国一律の高速回線」という当初のビジョンは実現しませんでした。
地理的な制約
オーストラリアの国土面積は約769万km²で日本の約20倍ですが、人口は約2,600万人(日本の約5分の1)。人口密度は1km²あたり3.4人で、日本の338人/km²と比較にならない低さです。
この広大で人口密度の低い国土に通信インフラを敷設するコストは、日本やシンガポールとは桁違いです。特にアウトバック(内陸部)や遠隔地域では、固定回線自体が不可能で、衛星回線(Sky Muster)に頼るしかない地域があります。
在住者の体験
日本から来た在住者が最初に驚くのが、「家によってインターネット速度が全く違う」という事実です。
賃貸物件を選ぶ際、NBNの接続方式を確認するのは実質的に必須です。NBN Co のウェブサイト(nbnco.com.au)でアドレスを入力すると、その物件の接続方式と理論上の最大速度がわかります。FTTPなら安心、FTTNなら「当たり外れがある」と覚えておくのが現実的です。
一般的なプランはStandard(25Mbps、月額AUD 65〜75)からPremium(100Mbps、月額AUD 85〜100)。日本の光回線(1Gbps、月額4,000〜5,000円程度)と比べると、速度は遅く価格は高い。
改善の見通し
NBN Coは2023年から「FTTN→FTTP」へのアップグレードを段階的に進めています。5G固定無線(Telstra、Optus)もNBNの代替として注目されており、5Gエリア内ではFTTNより速いケースもあります。
政治がテクノロジーの選択を歪めた結果、10年以上の遅れを取った。在住者にとっては、物件選びの際にNBN接続方式を確認するという、日本では不要な一手間がかかる——それがオーストラリアのインターネットの現実です。