オーストラリアの『出る杭は打たれる』は、日本とは全然違う文脈で起きている
Tall Poppy Syndromeは日本にもオーストラリアにもある。でも根っこが違う。日本は集団からの逸脱への圧力、オーストラリアは平等主義の裏返しだ。
「出る杭は打たれる」は日本語の表現だが、オーストラリアにも同じ現象がある。Tall Poppy Syndrome。背の高いケシは切られる。でも打たれる理由が、日本とオーストラリアでは根本的に違う。
オーストラリアのTall Poppy Syndrome
オーストラリアで成功した人が自分の成功をアピールすると、周囲から冷たい反応を受けることがある。「調子に乗るな」「お前だけ特別じゃない」という空気だ。
具体的には、高級車に乗りすぎると「wanker(気取り野郎)」と言われる。ビジネスで成功した話を熱心にすると「up yourself(自惚れ)」と思われる。テレビで「私はこうして成功しました」と語ると、SNSで叩かれる。
この現象は確かに「出る杭は打たれる」に似ている。でもメカニズムが違う。
日本の「出る杭」——集団からの逸脱
日本で出る杭が打たれるのは、集団の均質性を維持するためだ。
日本社会の暗黙のルールは「みんな同じであること」。同じ制服、同じ持ち物、同じ行動パターン。この均質性から逸脱する人間——目立つ人、違うことをする人、空気を読まない人——に対して、集団は圧力をかけて「元に戻す」。
打たれる理由は「目立つこと」そのもの。成功しているかどうかは二次的で、「自分だけ違う」ことが問題視される。だから、失敗して目立つ場合にも打たれる。目立つこと自体が罪だ。
この圧力の源泉は「和を乱すな」という規範。集団の一体感が生存戦略として機能してきた社会の産物だ。
オーストラリアの「背の高いケシ」——平等主義の裏返し
オーストラリアでは、打たれる理由が違う。「自分が他者より上だと示す行為」が問題にされる。
オーストラリアの国民性の根幹にあるのは「egalitarianism(平等主義)」だ。「mate(仲間)」という呼び方に象徴されるように、誰もが対等であるべきという意識が強い。社長も従業員もファーストネームで呼び合い、偉そうにすること自体が嫌われる。
この平等主義のルーツは、流刑植民地としてのオーストラリアの出自にある。1788年以降、イギリスから送られてきた囚人と、彼らを監視する看守——この二層の社会で「権威に対する不信」と「仲間同士の連帯」が育った。イギリスの階級社会への反発が、オーストラリアの平等主義の原型だ。
だからオーストラリアで叩かれるのは「成功した人」ではなく、「成功を鼻にかける人」だ。成功すること自体は問題ない。問題は、成功によって自分が他者より「上」だと示す態度。これが平等主義の原則に反する。
同じ現象、異なる治療法
この違いは、「どうすれば打たれないか」にも表れる。
日本では、目立たないようにすることが処方箋になる。成功しても控えめに振る舞い、集団に溶け込む。謙遜は美徳であり、自慢は最大の禁忌。「おかげさまで」「まだまだです」というフレーズが防御装置として機能する。
オーストラリアでは、成功を隠す必要はない。ただし「偉そうにしない」ことが求められる。成功した後も以前と同じ態度で周囲に接し、高級レストランよりBBQに行き、ビールを奢り、自分のことを笑いのネタにする。「self-deprecating humor(自虐的ユーモア)」は、オーストラリアでTall Poppy Syndromeを回避する最強の武器だ。
日本は「存在を消す」ことで対処し、オーストラリアは「態度を変えない」ことで対処する。
ビジネスへの影響
この文化的差異は、ビジネスの場面で具体的な影響を及ぼす。
オーストラリアのスタートアップ文化では、Tall Poppy Syndromeが起業家の障壁になっているという指摘がある。「自分のビジネスが世界を変える」と大きなビジョンを語ることが、オーストラリアでは「up yourself」と見なされやすい。シリコンバレー的な自己プロモーションがやりにくい。
一方、日本のスタートアップ文化では、「目立つこと」自体への抵抗が壁になる。メディアに出る、大きな資金調達を発表する、失敗を公開する——すべてが「出る杭」になるリスクを伴う。
面白いのは、両方の社会で「海外に出れば自由にできる」という感覚がある点だ。日本の起業家がシリコンバレーに行くと解放され、オーストラリアの起業家もシリコンバレーに行くと解放される。共通の「避難先」がある。
打たれない社会はあるのか
アメリカは、少なくとも建前としては「成功を称える文化」を持っている。セルフメイドの成功者はヒーローであり、富を見せびらかすことへの抵抗は相対的に低い。
でもアメリカにもTall Poppy Syndromeに近い現象はある。SNSでの成功者叩き、"cancel culture"の一部、「あいつは不当に成功した」という批判——形は違うが、「突出した存在への攻撃」は人間社会の普遍的な現象なのかもしれない。
違うのは、攻撃の動機と正当化の論理だ。日本は「和」、オーストラリアは「平等」、アメリカは「公正(fairness)」——それぞれの社会が大切にしている価値観の裏返しとして、突出した存在が攻撃される。
同じ「出る杭は打たれる」でも、なぜ打つのかを理解しないと、対処を間違える。