裸足とビーチサンダルの国——カジュアルすぎる服装文化の正体
オーストラリアではスーパーに裸足で来る人もいる。ビーチサンダルが万能の履物。この極端なカジュアルさは、気候と平等主義が結びついて生まれた服装哲学だ。
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オーストラリアに来た日本人がしばしば驚くのが、人々の服装のカジュアルさだ。ビーチサンダル(現地ではthongsと呼ぶ)でスーパーにもオフィス街にも現れ、夏には裸足で店に入る人さえいる。きちんとした服装が求められる場面が、日本に比べて圧倒的に少ない。このゆるさは、単なる無頓着ではない。気候と社会思想が結びついた、一つの哲学だ。
服装の自由さは、「人を見た目で判断しない」という建前と地続きになっている。
気候がドレスコードをゆるめた
まず単純に、暑い。一年の多くを温暖な気候で過ごす土地では、かっちりした服装は不快で非合理だ。ビーチが生活の近くにあり、屋外で過ごす時間が長い。そういう環境では、軽くて脱ぎ履きしやすい服装が自然と標準になる。
ビーチサンダルが万能の履物になったのも、海辺の生活との距離の近さゆえだ。砂浜から街へ、街から家へ、履き替えずに移動できる。気候が、服装文化の土台を作った。日本のように四季がはっきりし、改まった場面が多い社会とは、出発点が違う。
「見た目で値踏みしない」という建前
服装のカジュアルさには、思想的な裏づけもある。オーストラリアの平等主義は、人を肩書きや身なりで判断することを嫌う。高価な服で立場を誇示するより、気取らない格好でいる方が好まれる。
だから、ラフな服装が「だらしない」ではなく「気取らない」と肯定的に受け取られる。逆に、過剰にきちんとしすぎると、「気取っている」と距離を置かれることさえある。服装の自由は、見た目で人を上下に並べない、という社会の価値観の表れだ。
ただし「TPOゼロ」ではない
とはいえ、何でもありかというと、そうではない。きちんとした場面、たとえば改まった式典やフォーマルな職場では、それなりの装いが求められる。冠婚葬祭の作法もある。
つまり、普段着のハードルが極端に低いだけで、メリハリは存在する。普段はとことんラフで、ここぞというときは整える。この振れ幅を読み違えると、カジュアルな場で堅すぎたり、フォーマルな場でラフすぎたりする。自由なぶん、場面を自分で読む力が要る。
移住者が肩の力を抜くきっかけ
日本から来た人は、最初「こんなにラフでいいのか」と戸惑う。きちんとしすぎて浮くこともある。だが慣れると、この服装の自由さは大きな解放になる。毎日服装に神経を使わなくていい。見た目で値踏みされる緊張から解かれる。
ビーチサンダルでスーパーに行ける社会は、人を身なりで縛らない社会でもある。その気楽さに身を委ねつつ、改まった場面だけは押さえる。それが、カジュアルな国でちょうどいい距離感を保つコツだ。