スイスでは年に4回、国民投票の封筒が届く——直接民主制の日常
スイスの直接民主制は教科書の中の話ではなく、文字通り年4回、郵便受けに届く。投票用紙を開封する日常から見えるスイス政治の実像。
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スイスに住んでいると、年に4回、重厚な封筒が届く。中には投票用紙と、賛成派・反対派それぞれの主張をまとめた冊子「Abstimmungsbüchlein(投票冊子)」が入っている。テーマは道路建設から臓器提供の制度変更まで何でもある。
「投票は買い物と同じくらい日常」
スイスの国民投票は、連邦レベルだけで年に4回開催される。これにカントンやGemeinde(市区町村)レベルの投票が加わるので、実際にはもっと頻繁に「何かに投票している」感覚になる。
投票方法は3つ。投票所に行く、郵送する、一部のカントンではオンラインで投票する。大多数は郵送を選ぶ。日曜日の朝、コーヒーを飲みながら投票用紙に記入し、ポストに入れる——スイス人にとって投票は、買い物に行くくらい日常的な行為だ。
過去のテーマが面白い
国民投票のテーマを見ると、スイスの直接民主制がいかに「なんでもあり」かがわかる。
- 2016年: ベーシックインカム導入(否決、76.9%が反対)
- 2021年: 合成農薬の全面禁止(否決、60.6%が反対)
- 2021年: CO2法改正(否決、51.6%が反対)
- 2024年: 年金13か月目の支給(可決、58.2%が賛成)
環境、福祉、移民、軍事——国の根幹に関わるテーマが、政治家ではなく国民の多数決で決まる。しかもイニシアチブ(国民発議)制度があるので、10万人の署名を集めれば、どんなテーマでも国民投票にかけられる。
投票率は意外と低い
ここまで民主的なのに、スイスの国民投票の投票率は平均40〜50%だ。テーマによっては30%を切ることもある。
理由の一つは「投票疲れ」だろう。年に何度も投票があると、全てのテーマに関心を持つのは難しい。自分に関係のあるテーマだけ投票して、残りはスキップする——という人が多い。
もう一つの理由は「現状に大きな不満がない」ことだ。スイスは経済が安定し、治安もいい。切羽詰まって投票に行く動機が薄い。逆に言えば、投票率が急上昇するテーマは、社会が本当に揺れている証拠だ。
外国人には投票権がない(一部例外あり)
外国人は連邦レベルの投票権を持たない。ただし、一部のカントン(ジュラ、ヌーシャテル、ヴォー、フリブール、ジュネーブ)ではGemeindeレベルの投票権が外国人にも認められている。
Cパーミット(永住許可)を持っていても、市民権がなければ連邦投票には参加できない。スイスの市民権取得には最低10年の居住が必要で、Gemeindeの審査も通らなければならない。
投票冊子を読む楽しさ
在住外国人は投票できないが、投票冊子(Abstimmungsbüchlein)はオンラインで読める。これが意外と面白い。
連邦政府が賛成・反対の論点を中立的にまとめ、連邦議会の推奨も添えられている。政治的な議論が感情論ではなく構造的に整理されている。日本の選挙公報とは情報量が段違いだ。
直接民主制は万能ではない。決定に時間がかかるし、複雑な政策を「はい/いいえ」の二択に落とし込む限界もある。それでもスイス人がこの制度を維持しているのは、「自分たちの問題は自分たちで決める」という原則を手放す気がないからだろう。