スイスの農家はなぜ潰れないのか——補助金が支える「非効率な農業」の設計思想
スイスの農業は国際競争力がほぼゼロ。それでも農家が存続する理由は、農業収入の半分以上を占める補助金にある。景観維持のために農業を続ける国の選択。
この記事の日本円換算は、1CHF≒170円で計算しています(2026年4月時点)。為替は変動するので、現地通貨(CHF)の金額を基準にしてください。
スイスの牛乳1リットルの価格はCHF 1.50〜1.80(約255〜306円)。ドイツのスーパーでは EUR 0.80(約128円)で買える。2倍の価格差があるのに、スイスの酪農家は楽に暮らしているかというと、そうでもない。
スイスの農家の平均収入のうち、50%以上が連邦政府からの直接給付金(Direktzahlungen)で構成されている。農産物の販売だけでは成り立たない。
なぜ補助金を出すのか
スイスの農地の多くは急傾斜地や高標高地にある。大型機械が入れない。1ヘクタールあたりの生産効率はEU平均の半分以下だ。自由競争にさらされたら、スイスの農家は1年で全滅する。
それでもスイスが農業を維持する理由は3つある。
1つ目は食料安全保障。スイスの食料自給率は約50%で、残りは輸入に依存している。非EU加盟国として、有事の際に食料を確保するための最低限の生産能力を国内に維持しておく必要がある。
2つ目は景観維持。アルプスの牧草地は放牧をやめると10年で灌木に覆われる。観光資源としてのスイスの景観は、農家が牛を放牧し続けることで維持されている。
3つ目は国民投票で何度も支持されていること。農業補助金の削減提案は国民投票で繰り返し否決されている。スイス国民は、高い食品価格と引き換えに農村の風景を維持することを選択し続けている。
補助金の構造
連邦の農業予算は年間約CHF 37億(約6,300億円)。農家1軒あたり平均でCHF 60,000〜70,000(約1,020万〜1,190万円)の補助金を受け取っている。
補助金は生産量ではなく、「生態系サービス」に対して支払われる。生物多様性の維持、有機農法の実施、動物福祉の基準遵守——これらの条件を満たすと上乗せ支給がある。「農産物を作る」ことではなく「農地を管理する」ことに対価が支払われる設計だ。
スイスの農業政策は、純粋な経済合理性から見れば非効率そのものだ。しかし「アルプスの景観」「食料安全保障」「農村コミュニティの維持」を含めた総合的な価値判断として設計されている。スーパーの棚で2倍の価格を払っているスイスの消費者は、食品だけでなく風景と安全保障も買っているのだ。