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スイスの核シェルター——全国民を収容できる国の冷戦遺産

スイスには約30万カ所の核シェルターがあり、全人口をカバーできる世界唯一の国とされる。冷戦時代に作られたこの巨大インフラは今どう使われているのか、在住者の視点から解説します。

2026-05-06
スイス核シェルター冷戦軍事歴史

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スイスには約30万カ所の民間用核シェルターがあり、総収容人数は約900万人分——全国民を上回る。核シェルターの整備率で世界一の国は、NATOにもEUにも加盟していない中立国だ。

なぜスイスにシェルターがあるのか

1963年に制定された連邦法(Zivilschutzgesetz)が出発点だ。冷戦の最中、スイスは「中立を維持するためには自国民を自力で守る」という原則を法律に落とし込んだ。新築の住宅・集合住宅・商業ビルに核シェルターの設置が義務づけられた。

この法律は現在も有効だ。2025年時点でも、新築住宅を建てる場合にはシェルターを設置するか、代替として自治体の公共シェルター基金に拠出金(1人あたり約800CHF、約13.6万円)を支払う義務がある。

シェルターの中身

典型的な住宅用シェルターは地下室の一角にある。コンクリート製の厚い壁と防爆扉、空気ろ過装置、水・食料の備蓄棚が備わっている。設計上は核爆発の爆風と放射性降下物(フォールアウト)から住民を保護できる構造だ。

多くの集合住宅では、地下のシェルタースペースが普段はKeller(地下倉庫)として使われている。自転車やスキー板、季節外の衣類を保管する場所になっていて、シェルターとしての機能を意識する機会は日常的にはほとんどない。

公共シェルターはさらに大規模で、学校・病院・駅の地下に設置されている。ルツェルンの近くにあるゾンネンベルク・トンネル(Sonnenberg Tunnel)は冷戦時代に2万人を収容できる設計で建設された、世界最大級の民間シェルターだ。

要塞の転用

冷戦期に建設された軍用要塞の多くは、現在では転用が進んでいる。

  • サン・ゴタルド要塞(Festung Sasso da Pigna):現在は博物館として公開
  • 旧軍用バンカーの民間転用:データセンター、ワインセラー、チーズの熟成庫として使われるケースが増えている

スイスのデータセンター事業者の中には、旧軍用バンカーを利用してサーバーを設置するところがある。岩盤に覆われた構造は自然災害に強く、気温が低いため冷却コストも抑えられる。軍事インフラがテクノロジーインフラに生まれ変わっているわけだ。

ウクライナ戦争後の再評価

2022年以降、スイス国内でシェルターへの関心が再び高まっている。連邦市民保護局(Bundesamt für Bevölkerungsschutz)は各自治体のシェルターの点検・整備を呼びかけており、一部の自治体では空気ろ過装置のメンテナンスや備蓄品の更新を実施している。

ただし「今すぐシェルターが必要になる」という危機意識が広がっているわけではない。どちらかといえば「あるものを維持しておこう」という実務的な対応だ。

在住者としてシェルターを意識するのは、引っ越し先のアパートの内見で地下を見せてもらった時くらいだ。不動産の内見で「ここがシェルターです」と説明されると、日本では経験しない種類の感覚がある。あって当然の設備として設計に組み込まれている——その「当然さ」がスイスという国の安全保障思想を静かに物語っている。

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