ドイツの大学はほぼ無償——それでも進学率が突出しない理由
ドイツの公立大学は授業料がほぼかからない。それでも大学進学が唯一の道にならない社会構造を、教育の設計から読み解く。
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ドイツの公立大学は、授業料がほぼかからないことで知られます。学期ごとの納付金(Semesterbeitrag)はありますが、これは学生自治会費や交通パスなどを含む費用で、日本の授業料とは桁が違います。外国人留学生にも原則として同じ条件が適用されるとされます(州によって扱いが異なる場合があります)。
無償なら、誰もが行くはずです。ところがドイツの大学進学率は、無償化されていない国々と比べて突出して高いわけではありません。この不一致に、この国の教育設計が表れています。
大学が唯一の上りエスカレーターではない
理由は明快で、大学に行かない進路が経済的に成立するからです。デュアルシステムと呼ばれる職業訓練は、企業で働きながら職業学校に通う形を取り、訓練期間中も給与が支払われます。
つまり、18歳の時点で二つの道があります。学費なしで大学に行き、卒業まで収入がない道。訓練生として収入を得ながら資格を積む道。どちらも社会的に認められています。
日本では、進学しない選択に「できなかった」という含意がつきまといがちです。ドイツでは、選ばなかっただけ、という理解が成り立つ。マイスター資格の社会的地位が高いことも、この構図を支えています。
無償化は入口を開けただけ
授業料がないことは、大学の門を広げます。ただし、卒業を保証するわけではありません。ドイツの大学は入学より修了が難しいと言われ、途中で進路を変える学生も一定数います。
在学期間も柔軟です。標準修業年限はありますが、働きながら長めに在籍する学生もいます。無償だからこそ、急いで卒業する経済的圧力が相対的に弱い。
一方で生活費はかかります。家賃、健康保険、食費。都市によって差が大きく、大学都市の学生寮は競争が激しいのが実情です。無償なのは授業料であって、生活ではありません。
灌漑と用水路
農地に水を引くとき、大きな水路を一本通すか、細い水路を網の目に張るかで、育つものが変わります。一本の太い水路は流量が確保できますが、届かない場所ができる。網の目は届く範囲が広い代わりに、管理が複雑になります。
ドイツの教育は後者に近い形をしています。10歳での学校種の分岐、職業訓練、専門大学(Fachhochschule)、総合大学、そして社会人になってからの再教育。経路が多く、後から乗り換える道も用意されています。
複雑さの代償として、制度が分かりにくい。州ごとの違いも大きく、引っ越すと制度が変わることさえあります。分かりにくさは、選択肢の多さの裏返しです。
在住日本人の子どもの場合
在独日本人家庭にとって、大学無償という条件は魅力的です。ただし、小学校からの学校種の選択が先に来ます。大学進学に必要な資格(Abitur)を取得できる学校種に進むかどうかが、早い段階で問われる。
進路の変更は不可能ではありません。後から取得する道や、専門大学に接続する道があります。ただし手間と時間はかかります。制度は州ごと、時期ごとに変わりうるので、居住する州の教育当局の情報を確認してください。
日本の大学に進む選択も当然あります。両国の制度が接続しない部分については、帰国生入試や国際バカロレアなど、別の経路を検討することになります。
学校の外にも経路はある
学校種を選び直す道と並んで、自分で事業を始める道もあります。ただしこちらも、入口に手間が置かれている点は共通しています。
ドイツで会社を作ろうとすると、比較的早い段階でNotar(公証人)という職業に出会います。定款の作成に公証人の関与が求められるためです。公証人は当事者の意思と本人確認、文書の内容の適法性を確認し、定款の読み上げに立ち会って署名を認証する。外国語話者の場合、内容を理解しているかの確認が必要になり、通訳の同席が求められることがあります。
一見すると官僚的ですが、機能としては第三者による記録の作成です。動き出してから争うより、始める前に文書を固める。授業料を無料にして入口を開ける一方、卒業を難しくする大学の設計と、方向は逆でも発想は同じです。前に手間をかけて、後を軽くする。
法人を作る前に、そもそも法人が必要かという判断もあります。ドイツでは個人で働く形としてFreiberufler(自由業)とGewerbetreibender(営業者)の区別があるとされ、この区別で税や登録の扱いが変わります。境界は必ずしも明快ではないので、判断に迷う場合は税理士(Steuerberater)に相談するのが確実です。一人で小さく始めるなら、まずフリーランスとして登録し、規模に応じて法人化する道も現実的で、多くの在独日本人がこの順序をたどっています。
外国人の場合、滞在許可の種類によってできる活動が制限されます。判断を誤ると滞在資格に影響しうるため、外国人局や専門家に確認してから動いてください。
無償の意味を測り直す
授業料が無料であることは、教育機会の平等の一部でしかありません。実際に進学を左右するのは、10歳前後での学校種、家庭の言語環境、生活費の見通し。無償化はそのうちの一つの障壁を取り除いただけです。
それでも、卒業時に学生ローンを抱えていないという事実は、その後の人生設計を確実に変えます。転職も、起業も、進路変更も、負債がなければ選びやすい。
見えやすい費用をゼロにしたことより、見えにくい選択肢を複数残したこと。この国の教育設計の要点は、そちらにあるのかもしれません。