アペリティフの経済学——フランス人が夕食前の1時間に費やすもの
フランスの夕方6時、カフェのテラスに座る人々の手にはキール、パスティス、スプリッツ。アペリティフは単なる飲酒習慣ではなく、フランスの社会資本を生み出す装置でもある。
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フランス人は食事に年間平均2時間13分を費やす——OECD加盟国中ダントツの1位だ(OECD Time Use Survey)。2位のイタリアは2時間5分、日本は1時間37分。しかしこの統計には「アペリティフ」の時間が含まれていない可能性がある。食事の前に飲むのだから、食事時間にはカウントされない。
アペリティフとは何か
アペリティフ(apéritif)はラテン語の「aperire(開く)」に由来する。胃を「開く」飲み物、つまり食前酒だ。フランスでは夕方6時〜8時頃にカフェやテラス、友人宅で軽いドリンクとつまみを楽しむ習慣を指す。
定番のドリンクはキール(白ワイン + カシスリキュール)、パスティス(アニス風味のリキュール、南仏の定番)、スプリッツ(プロセッコ + アペロール)、あるいは単純にグラスワインだ。カフェでの1杯は€4〜€8(約640〜1,280円)。パリ中心部のテラス席なら€8〜€12(約1,280〜1,920円)になる。
「アペロ」の経済規模
カジュアルな言い方では「アペロ(apéro)」と呼ばれるこの習慣は、フランスの飲食業にとって無視できない売上源だ。フランスの飲食業団体(UMIH)のデータによれば、カフェ・バーの売上のうち夕方の時間帯(17時〜20時)が占める割合は30〜40%に達する。
スーパーマーケットでも「apéritif」コーナーが独立して存在する。チップス・オリーブ・サラミ・小型チーズ・クラッカーなど、つまみ用の商品群は年間数十億ユーロ規模の市場を形成している。
社会関係資本としてのアペロ
経済効果よりも重要なのは、アペロがフランス社会で果たしている「接着剤」としての機能だ。
職場の同僚とアペロに行く。引っ越し先で隣人を招いてアペロを開く。初対面の人とまず会うならランチではなくアペロ。フランスでは人間関係のほぼすべての起点にアペロがある。
日本の「飲みニケーション」との違いは、アペロが基本的に1〜2杯で終わること。泥酔を前提としていない。時間も1時間程度で、その後に各自夕食に向かう。社会学者のクロード・フィシュレールは、フランスの食文化を「共食(commensalité)の文化」と呼んだが、アペロはその最も軽量なバージョンだ。
在仏日本人とアペロ
フランスに住み始めた日本人が最初に戸惑うのが「アペロに誘われたが、何を持っていけばいいかわからない」という場面だ。
友人宅でのアペロに招かれた場合、ワイン1本か、チーズかシャルキュトリー(ハム・サラミの盛り合わせ)を持参するのが一般的だ。何も持たずに行っても怒られはしないが、2回目以降は何か持っていく方が自然な流れになる。
手ぶらで行ける関係と、何か持参する関係。その境界線が、フランスにおける「知人」と「友人」の距離を示している。