ビズ(頬キス)の回数は郵便番号で決まる——フランスの挨拶の見えないルール
フランスの頬キス挨拶「ビズ(bise)」は、地域によって回数が2回・3回・4回と異なり、どちらの頬から始めるかも変わる。COVID後に衰退すると思われたが復活した。フランス人でも戸惑うこの挨拶の暗黙のルールを解剖する。
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パリで人に会うと頬を2回合わせる。プロヴァンスでは3回。ナントでは4回。リヨンは2回だが左頬からで、パリは右頬から。フランス人同士でも「あなたの地域は何回?」と聞くことがある。
ビズ(la bise)の回数は全国統一規格がない。2014年にフランスの学生が作った地図サイト「combiendebises.fr」に40万人以上が回答を寄せ、地域ごとのビズ回数の分布が可視化された。パリとリヨンは2回。南仏(マルセイユ、モンペリエ)は3回。ロワール地方は4回。同じ国の中で挨拶の回数が違う。
ビズの基本ルール——ルールがないというルール
ビズには厳密なルールがないからこそ、暗黙の規範がある。
誰とビズするか:
- 友人・知人: ビズが基本
- 家族: ほぼ必ずビズ
- 初対面: 紹介者がビズしたら合わせる。ビジネスの場では握手が一般的
- 男性同士: 家族・親友間では普通。職場の同僚間は人による。南仏は男性同士のビズが多く、北フランスは少ない傾向
どちらの頬から始めるか: これが最も混乱する要素だ。パリでは右頬を差し出す(つまり相手の左頬に向かう)人が多いが、南仏では左頬から始める人もいる。初対面で互いに同じ方向に顔を向けてしまい、鼻がぶつかりそうになる「ビズの衝突事故」は日常茶飯事だ。
音を立てるか: 実際に唇を頬に付ける必要はない。頬を合わせて「チュッ」と音を立てるのが一般的だが、頬を近づけるだけの人もいる。
朝の職場のビズ——生産性の敵か社交の潤滑油か
フランスの多くの職場では、朝出勤すると同僚全員とビズを交わす習慣がある。10人のチームなら、毎朝10回のビズ。20人なら20回。
2019年のQapa(求人サイト)の調査では、フランスの会社員の約52%が「朝のビズは時間の無駄だと思う」と回答している一方、「やめたら職場の雰囲気が悪くなる」と約61%が答えた。やめたいがやめられない——フランスの朝のビズは、日本の朝礼に似た微妙な位置づけだ。
COVID-19のパンデミック中、ビズは当然ながら消滅した。肘タッチや軽い会釈がその代わりを務めた。「これでビズの文化は終わる」と予測する記事がメディアに溢れた。
結果はどうだったか。2022年以降、ビズは復活した。IFOPの2022年の調査では、フランス人の約83%が「友人との挨拶でビズを再開した」と回答している。肘タッチはほぼ消滅した。
ビズをしない選択——外国人の特権
在住外国人にとって、ビズは最も戸惑う習慣の一つだ。日本人にとっては物理的な接触自体に抵抗がある場合も多い。
安心してほしいのは、外国人がビズを「しない」ことはフランスでは許容されているということだ。握手をしながら「Je ne fais pas la bise(ビズはしないんです)」と笑顔で言えば、ほとんどの場合問題ない。不快に思う人はまずいない。むしろ「日本ではお辞儀なんでしょ?」と興味を持ってくれることが多い。
ただし、親しくなった友人やその家族の前でビズを避け続けると、距離を感じさせてしまうことはある。これは「郷に入れば郷に従え」と「自分の境界線を守る」のバランスの問題で、正解はない。
ビズの歴史——権力の証から日常の儀式へ
ビズのルーツは古代ローマに遡る。ローマでは社会的地位に応じた「接吻の権利」があり、元老院議員同士は口づけ、一般市民は頬、奴隷は手にキスをした。中世フランスでは封建的な忠誠のキス(baiser de paix)として形式化された。
フランス革命後、ビズは「平等の挨拶」として再定義された。誰もが同じ方法で挨拶する——少なくとも理論上は。現代のビズに階級差はないが、「する/しない」「何回か」の判断には、その場の関係性を瞬時に読む社会的なスキルが求められる。
ビズは「触れる」ことそのものが目的ではない。「あなたとの距離はこのくらいだ」という関係性の確認作業だ。回数が決まっていないことが、むしろ重要なのかもしれない。
主な参照: combiendebises.fr地域別調査データ、IFOP「Les Français et la bise」2022年調査、Qapa職場の挨拶調査2019年