フランスのカフェテラス——なぜ椅子は全部道路を向いているのか
パリのカフェテラスでは、椅子が全て道路側を向いて一列に並んでいる。向かい合って座らない。この独特の配置は、フランスの「見る文化」と都市空間の歴史が生んだ必然だった。
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パリのカフェに座ると、椅子が奇妙な方向を向いていることに気づく。全ての椅子が道路側に向いている。向かい合わせではなく、隣の人と同じ方向を見ている。映画館の客席のように。
これは偶然ではない。フランスのカフェテラス(terrasse)の椅子配置は「spectacle de la rue(通りの眺め)」を楽しむために意図的に設計されている。カフェの客はコーヒーを飲みに来ているのではない。通りを行き交う人々を見に来ている。
terrasse——歩道は誰のものか
フランスのカフェテラスは歩道(trottoir)を占有している。これは違法ではない。パリ市の場合、カフェやレストランは「terrasse占有許可(autorisation d'occupation du domaine public)」を市に申請し、占有面積に応じた使用料を支払っている。
パリ市の規定では、terrasseの面積、テーブルの高さ、日よけ(parasol)の色まで指定されている区域もある。シャンゼリゼ通りなどの歴史的エリアでは特に厳格だ。
占有料は場所によって大きく異なる。パリ中心部の一等地では1㎡あたり年間€700〜€1,500(約11.2万〜24万円)以上。10テーブルのterrasseなら年間数万ユーロの占有料を払っている計算だ。
それでもterrasseを設置するのは、テラス席の方が圧倒的に客が入るからだ。フランス人は「中より外」を好む。晴れた日にterrasseが空いていて室内に座る人は少ない。
コーヒー1杯の価格——座る場所で変わる
フランスのカフェには3段階の価格体系がある場所が多い。
- Comptoir(カウンター): エスプレッソ1杯 €1.20〜€1.80(約192〜288円)
- Salle(室内テーブル): €1.80〜€2.50(約288〜400円)
- Terrasse(テラス席): €2.50〜€4.50(約400〜720円)
同じエスプレッソでも、座る場所で価格が2〜3倍変わる。terrasseは「通りを見る特等席」の料金が上乗せされている。
パリの観光地(サン・ジェルマン・デ・プレ、モンマルトル等)のカフェでは、terrasseのエスプレッソが€5〜€7(約800〜1,120円)になることもある。Café de Flore やLes Deux Magotsのような有名カフェでは、コーヒー1杯が€7.50(約1,200円)を超える。観光税と見ればよい。
2020年——terrasseが救った飲食業
COVID-19パンデミックは、皮肉にもterrasseの価値を証明した。
2020年6月のロックダウン解除時、フランス政府は屋内飲食を禁止しつつterrasseのみ営業を許可した。パリ市はterrasse占有許可を大幅に緩和し、通常は許可されない場所(駐車スペース、広場等)にもterrasseの設置を認めた。
この「terrasseの拡大」は大成功した。パリ市内のterrasse面積は一時的に倍以上に拡大し、飲食業の売上回復に大きく貢献した。市民からも「車道が減ってカフェが増えた方がいい」という声が上がった。
パンデミック後、拡大されたterrasseの一部は恒久化された。Anne Hidalgo市長の都市政策と合致し、「車を減らしてテラスを増やす」方向が加速している。
テラスの作法と喫煙問題
コーヒー1杯で2時間座っていても追い出されない。それが普通だ。ウェイターを呼ぶときは目を合わせるか軽く手を挙げるだけ。日本式に「すみません!」と叫ぶのはNG。待たされるのは「邪魔しない」という配慮——と思えるかどうかが、フランスのカフェに馴染めるかの分岐点だ。チップは義務ではない(サービス料込み)が、小銭を置いていく習慣はある。
注意点は喫煙。2007年に屋内禁煙になって以降、terrasseは喫煙者の最後の砦だ。非喫煙者は風上の席を取るか、非喫煙terrasseを持つカフェを選ぶスキルが要る。
在住者にとってのテラス
フランスに住むと、テラスに座る時間が生活のリズムに組み込まれていく。朝のエスプレッソ、午後のcitron pressé、夕方のビール。日本のカフェとの最大の違いは「目的がないこと」だ。作業でも打ち合わせでもなく、ただ座って通りを見る。この「何もしない時間」に価値を置けるかどうかが、フランスの日常を楽しめるかの鍵になる。
主な参照: パリ市terrasse占有許可規定、INSEE飲食業統計、パリ市都市計画局COVID後のterrasse拡大政策報告