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フランスの「医療砂漠」——先進国で医者に会えない地域が広がっている

フランスでは地方を中心に「désert médical(医療砂漠)」と呼ばれる医師不足地域が拡大し、国民の約600万人がかかりつけ医を持てない状態にある。世界有数の医療制度を持つ国で起きているこの矛盾の構造を解説する。

2026-05-14
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フランスの医療制度は世界トップクラスだとWHOが評価した(2000年の世界保健報告では1位)。セキュリテ・ソシアル(社会保障)と補助保険(mutuelle)の組み合わせで自己負担はほぼゼロ。だがこの「世界最高の医療」にアクセスできない国民が増えている。DREES(保健省統計局)の2023年データによれば、約600万人のフランス人がかかりつけ医(médecin traitant)を持てない状態にある。

Désert Médical——数字で見る医療砂漠

フランスの一般開業医(médecin généraliste)は2024年時点で約58,000人(Ordre des médecins統計)。人口1,000人あたり約3.2人の医師がいる計算で、OECD平均(3.7人)を下回っている。

だが問題は総数ではなく分布だ。パリ市内の医師密度は人口10万人あたり約800人。一方、ウーズ県(Oise)やアンドル県(Indre)などの農村部では人口10万人あたり100人を下回る地域がある。8倍の格差だ。

DRESSが定義する「医療アクセス困難地域(zones sous-denses)」には、フランス全人口の約9%(約600万人)が暮らしている。「かかりつけ医が見つからない」「予約が3〜6ヶ月先」「最寄りの医院まで車で45分」——これがフランスの地方の現実だ。

なぜ医師が地方にいないのか

原因は複合的だが、3つの構造的要因がある。

医学部の定員制限(numerus clausus): フランスは1971年から2020年まで、医学部の入学定員を「numerus clausus」で厳格に制限してきた。1970年代初頭の定員は約8,600人だったが、医師過剰を懸念して1990年代には約3,500人まで削減された。この時期に育てなかった医師の空白が、いま直撃している。2020年にnumerus claususは廃止され「numerus apertus」(大学ごとの柔軟な定員設定)に移行したが、医師養成には10年以上かかるため、効果が出るのは2030年代以降だ。

医師の開業自由: フランスの開業医は好きな場所に開業できる(liberté d'installation)。この自由はフランス医師会が強く守っている原則で、政府が「この地域に開業しろ」と命じることはできない。結果、医師はパリ、リヨン、ボルドーなどの都市部に集中する。

世代交代の失敗: 現在の開業医の平均年齢は約52歳(Ordre des médecins、2023年)。地方の高齢医師が引退しても、後継者が見つからないケースが続出している。若手医師は都市部での勤務医(salarié)を好み、地方での個人開業を選ばない傾向が強まっている。

Maisons de Santé——政府の対策

政府は医療砂漠対策として「Maison de Santé Pluriprofessionnelle(MSP、多職種連携診療所)」の設置を推進している。一般医・看護師・理学療法士・助産師などが1つの施設に集まり、チームで地域医療を担う形態だ。2024年時点で全国に約2,400カ所のMSPが稼働している。

また、医療砂漠に開業する若手医師には「Contrat d'Engagement de Service Public(CESP)」として月€1,200(約19.2万円)の奨学金が在学中に支給される。開業後は最低2年間その地域で診療する義務がある。

だが根本的な解決には至っていない。MSPの設置数は増えているが、そもそも医師が来ない地域では箱だけ作っても機能しない。

テレメディスン(遠隔診療)の急拡大

COVID-19パンデミックはフランスの遠隔診療(téléconsultation)を劇的に加速させた。2019年にはほぼゼロだったテレメディスンの利用件数は、2020年のピーク時に週100万件を超えた。パンデミック後も定着し、2023年には全診療の約5%がテレメディスンで行われている(CNAM統計)。

セキュリテ・ソシアルは遠隔診療にも対面診療と同じ償還率(70%)を適用している。Doctolib、Qare、Livi、Teladocなどのプラットフォームでオンライン予約・即日診療が可能だ。

ただし限界もある。身体診察ができない、検査ができない、処方箋の範囲が限られる。慢性疾患の経過観察や軽症の相談には有効だが、医療砂漠の根本的な解決策にはならない。

在住日本人への影響

パリやリヨンなどの大都市に住む在住日本人にとって、医療砂漠は直接的な問題にはなりにくい。だが「かかりつけ医が見つからない」問題は都市部でも起き始めている。

フランスの医療制度では、セキュリテ・ソシアルの70%償還を受けるためにmédecin traitant(かかりつけ医)の登録が必要だ。新規患者を受け入れる医師が減っており、パリの一部の区でも「受付停止(ne prend pas de nouveaux patients)」の医院が増えている。Doctolib(予約プラットフォーム)で根気よく探すか、MSPに登録するか、勤務先の企業医(médecin du travail)に相談するか——選択肢を複数持っておくことが現実的な対処になる。


主な参照: DREES「Les déserts médicaux」2023年報告、Ordre national des médecins「Atlas de la démographie médicale」2024年版、CNAM(Caisse Nationale d'Assurance Maladie)テレメディスン統計、WHO World Health Report 2000

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