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パリの地下に眠る600万体の骨——カタコンブと都市の「地下史」

パリの地下20mに広がるカタコンブ(地下納骨堂)には約600万体の人骨が納められている。なぜパリは死者を地下に移したのか。都市と地下の関係を歴史から読み解きます。

2026-05-21
フランスパリカタコンブ歴史地下

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パリの地下20メートルに、約600万体分の人骨が整然と積まれている。壁一面に頭蓋骨と大腿骨が装飾的に並べられた空間——パリのカタコンブ(Catacombes de Paris)だ。年間約50万人が訪れる観光名所だが、これは「観光地化された公衆衛生インフラ」と呼んだ方が正確かもしれない。

墓地が「爆発」した

18世紀後半、パリは墓地問題に直面していた。市内最大の墓地「サン・イノサン墓地(Cimetière des Saints-Innocents)」は10世紀以上にわたって使われ続け、地面が周囲より2メートルも盛り上がっていた。1780年、地下の共同墓穴の壁が崩壊し、隣接する建物の地下室に遺体が流れ込む事故が発生した。

衛生上の危機だった。腐敗した遺体からの悪臭と汚染水が地下水に混入し、周辺住民の健康被害が深刻化していた。パリ市は1786年、市内の墓地を閉鎖し、遺骨をすべて地下の旧採石場跡に移す大事業に着手した。

採石場が納骨堂になるまで

パリの地下には、中世から近世にかけて石灰岩を採掘した坑道が総延長約300kmにわたって広がっている。パリの街並みを形づくるオスマン様式の建物——その壁の石材は、足元の地下から切り出されたものだ。都市が自分自身の足元を掘り出して建てられた、という構造は考えてみると不思議だ。

1786年から約2年かけて、サン・イノサン墓地の遺骨が夜間に荷車で運ばれ、地下に納められた。その後も19世紀半ばまで、パリ市内の各墓地から順次遺骨が移送された。合計で約600万体。当時のパリの人口が約60万人だったことを考えると、地下には地上の10倍の「住人」がいたことになる。

見学できるのはごく一部

一般公開されているのはカタコンブ全体の約1.7km、地下坑道の0.5%程度に過ぎない。入口は14区のダンフェール=ロシュロー広場にあり、130段の螺旋階段を降りる。

見学料は€29(約4,640円、オンライン事前予約)。人気スポットのため、特に夏場は2〜3週間前の予約が必要だ。内部は通年13〜14℃に保たれているので、夏でも上着を持っていくといい。

「カタフィル」——非公開エリアの探索者たち

パリには「カタフィル(cataphile)」と呼ばれる人々がいる。公開エリア以外の地下坑道に無許可で潜入し、探索する人たちだ。マンホールや地下鉄の脇道から潜り込み、地下でパーティーを開いたり壁画を描いたりする。

これは違法行為で、摘発されると€60の罰金が科される。だが、パリの若者文化の一部として半ば公然と存在している。2004年には、警察が地下の一室で映画上映設備を備えた秘密シアターを発見したことが大きなニュースになった。

都市と地下の関係

パリのカタコンブが示しているのは、都市は地上だけでなく地下にも歴史を持つ、という事実だ。東京の地下にも江戸時代の水路や防空壕が眠っている。ロンドンの地下鉄は第二次大戦中に防空壕として使われた。都市の地下は、地上が「忘れたいもの」を引き受ける場所として機能してきた。

パリはその関係を隠さず、むしろ見せている。600万体の骨を整然と並べて公開する——そのある種の率直さが、パリという都市の一つの特徴かもしれない。

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