グリーンベルトという聖域——住宅難の国がなぜ都市の周りを空けておくのか
深刻な住宅不足に悩む英国が、都市を取り囲む広大な土地に家を建てさせない。一見矛盾したグリーンベルト政策の裏にある、土地をめぐる長い闘争の論理を読み解く。
この記事の日本円換算は、1GBP≒213円で計算しています(2026年6月時点)。為替は変動するので、現地通貨の金額を基準にしてください。
英国は家が足りない。ロンドンでは1ベッドルームの賃貸が月1,800ポンド(約38万円)を超えることも珍しくなく、若い世代が持ち家を諦める「賃貸世代」が社会問題になっている。それなのに、都市のすぐ外側には家を一軒も建てさせない広大な緑地が、法律で守られたまま広がっている。これがグリーンベルトだ。
家が足りない国が、都市の周りを意図的に空けておく。この矛盾に見える政策が、なぜ80年近く続いているのか。
都市を「飲み込まれないように」囲う発想
グリーンベルトは20世紀半ば、都市が無秩序に郊外へ広がっていく現象を止めるために導入された。放っておけば都市は周辺の村を次々と飲み込み、緑のない巨大なスプロールになる。その膨張を物理的なリングで封じ込める、というのが基本思想だ。
発想の根っこには、自然と都市を切り分けたいという英国的な感覚がある。都市は人工、田園は理想郷。両者が混ざることを、この国の美意識は嫌う。コンスタブルが描いたような牧歌的な田園風景は、英国人にとって守るべき国民的アイデンティティの一部なのだ。
守られているのは緑か、それとも値段か
ところが現実のグリーンベルトは、必ずしも美しい自然ばかりではない。荒れた農地や使われていない空き地、ゴルフ場や砂利採取場も含まれる。「緑」という名前ほど環境的価値が高くない区画も少なくない。
それでも開発が許されないのは、すでにグリーンベルトの内側や近くに家を持つ人々にとって、土地が空いたままであることが資産価値を支えるからだ。眺望が守られ、新規供給が抑えられれば、既存の住宅価格は下がりにくい。緑を守る制度は、結果として持てる者の資産を守る制度として働いている面がある。
土地とは、誰がどう使うかをめぐる権力関係の地図だ。グリーンベルトの境界線は、自然保護の線であると同時に、世代間・階層間の利害の線でもある。
動かせない境界線
政府が住宅供給を増やそうとするたび、グリーンベルトの一部解除が議論に上る。だがそのたびに地元住民の強い反対に遭う。自分の家の裏に新築団地が建つことを歓迎する人は少ない。「総論賛成・各論反対」が制度の硬直を生んでいる。
ここには、変化を嫌い既存の風景を保とうとする英国の保守性が、最も具体的な形で表れている。古い家を壊さないのと同じ手つきで、空いた土地もまた「そのまま」が選ばれ続ける。
在英日本人が知っておくと役立つこと
住む場所を選ぶとき、グリーンベルトの存在は意外なところで効いてくる。都市から少し離れた緑豊かなエリアは、まさにこの規制ゆえに開発が抑えられ、結果として家賃も価格も高止まりしやすい。「自然が近くて静か」は「供給が少なくて高い」とほぼ同義だと考えておくといい。
通勤可能な範囲で割安な物件を探すなら、グリーンベルトの外側にある成長中の町に目を向けるという選択肢もある。地図の緑の帯がどこにあるかを知ると、英国の住宅価格の地形が違って見えてくる。