ハリネズミ保護と庭文化——イギリス人が庭に小さな穴を開ける理由
イギリスの国民的動物ハリネズミの保護活動と庭文化の関係を解説。フェンスに穴を開ける「Hedgehog Highway」、個体数の激減、在住者が庭でできること。
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イギリスの住宅街を夜歩いていると、庭のフェンスの下に小さな四角い穴が開いているのを見かけることがある。13cm×13cm。猫が通るには小さすぎる。この穴は「Hedgehog Highway(ハリネズミ・ハイウェイ)」——庭から庭へハリネズミが移動できるように、住民が自発的に開けた通路だ。
なぜハリネズミなのか
ハリネズミ(European hedgehog / Erinaceus europaeus)は、イギリスで最も愛されている野生動物の1つだ。2016年のRoyal Society of Biologyの調査では、イギリスの「国民的シンボルにふさわしい動物」でハリネズミが1位に選ばれた(ビアトリクス・ポターの「Mrs. Tiggy-Winkle」の影響も大きい)。
しかし、このハリネズミが急速に姿を消している。British Hedgehog Preservation Society(BHPS)とPeople's Trust for Endangered Species(PTES)の推計では、1950年代に約3,000万匹いたイギリスのハリネズミは、2024年時点で約100万匹以下にまで減少した。農村部では2000年以降、個体数が約半減したとされる。
減少の原因
農業の集約化: ヘッジロウ(生垣)の除去、農薬の使用、牧草地の減少がハリネズミの餌(昆虫、ミミズ、カタツムリ)を激減させた。ヘッジロウは文字通りハリネズミの「道」であり、これが消えると生息域が分断される。
庭のフェンス化: イギリスの住宅では、オープンなヘッジから密閉型のフェンスに切り替わる家庭が増えた。ハリネズミは一晩に1〜2km移動するが、フェンスで区切られた庭は「行き止まり」になる。
道路での轢死: イギリスでは年間約10万匹のハリネズミが車に轢かれていると推計される。
アナグマの増加: 天敵であるアナグマ(badger)の個体数が増加しており、特に農村部でハリネズミの捕食圧が高まっている。
Hedgehog Highway運動
この危機に対して、イギリスの住民が自発的に始めたのが「Hedgehog Highway」運動だ。フェンスの下部に13cm×13cm(CD1枚分の大きさ)の穴を開け、庭と庭をつなぐ。
BHPSが専用の看板プレート(£3〜5、約585〜975円)を販売しており、穴の横に設置して「ここはハリネズミの通り道です」と近隣に知らせる。
この運動は2014年頃から広がり始め、2024年時点で全英で推定10万以上のHedgehog Highwayが設置されているとされる。一部の自治体では、新築住宅のフェンスにHedgehog Highway用の穴を義務づける条例を導入している。
イギリスの庭文化との関係
この運動が成り立つ背景には、イギリス独自の庭文化がある。イギリス人にとって庭は単なる住宅の付属物ではなく、自然との接点だ。
Royal Horticultural Society(RHS)によると、イギリスの住宅の約87%に庭があり、庭の総面積は約433,000ヘクタール。これはイギリスの全自然保護区の面積を上回る。つまり、個人の庭の管理次第で、野生動物の生息環境が大きく変わる。
イギリスの庭文化には「Wildlife-friendly gardening(野生動物に優しいガーデニング)」という概念が浸透している。具体的には以下のような実践だ。
- 落ち葉を片付けすぎない: ハリネズミの冬眠場所になる
- 殺虫剤・除草剤を控える: ハリネズミの餌(昆虫・ミミズ)を殺さない
- 池には脱出用スロープを設置: ハリネズミは泳げるが、垂直の壁は登れない
- 焚き火の前に中を確認: 積み上げた枝や葉の中にハリネズミが潜んでいることがある(Bonfire Nightの11月5日前は特に注意)
- ハリネズミ用の餌を置く: キャットフード(チキンやフィッシュ味)が定番。ミルクは下痢を引き起こすのでNG
Hedgehog Street
BHPSとPTESが共同で運営する「Hedgehog Street」プロジェクトは、住民登録型のハリネズミ保護ネットワークだ。自宅の庭でハリネズミを目撃したらオンラインで報告し、近隣住民と共有する。
2024年時点で約10万人が登録している。このデータは研究者によるハリネズミの個体数推計にも活用されている。
ハリネズミと法律
イギリスでは、ハリネズミはWildlife and Countryside Act 1981で保護されている。意図的にハリネズミを殺傷した場合は犯罪となる。ただし、この法律ではハリネズミの生息地そのものの保護は弱く、開発による生息地の破壊は事実上止められていない。
2022年にEnvironment Act 2021の一部として「Biodiversity Net Gain(生物多様性の純増)」が開発許可の条件に加わった。新築開発では、開発前よりも10%以上生物多様性を増加させることが義務づけられる。これがハリネズミの生息環境にどの程度寄与するかはまだ不透明だが、方向性としては前進だ。
在住日本人の庭で
イギリスで庭付きの住宅に住んでいるなら、夜にそっと庭を覗いてみてほしい。5月〜10月の温暖な時期、21時〜23時頃にガサガサという音がすれば、ハリネズミがいる可能性がある。
フェンスに穴を開けるのに大家の許可がいる場合は、ドアの隙間にレンガを積んで13cmの通路を作る方法もある。キャットフードの皿を庭に出しておくと、数日以内にハリネズミが来ることがある。
イギリスの庭は「自分の領域」であると同時に「野生動物との共有空間」でもある。フェンスに13cmの穴を開ける——その小さな行為に、イギリス人の自然観が凝縮されている。