Kaigaijin
海外在住日本人のメディア
社会・文化

モリスダンス——イギリスの奇妙な伝統舞踊が消えない理由

鈴を鳴らし、ハンカチを振り、棒を打ち合わせる——イギリスのモリスダンスの歴史と現在。なぜ600年以上続いているのか、在住者が知ると面白い民俗文化。

2026-05-04
モリスダンス伝統文化フォークロア

この記事の日本円換算は、1GBP≒195円で計算しています(2026年4月時点)。為替は変動するので、現地通貨(GBP)の金額を基準にしてください。

イギリスの田舎町のパブの前で、白い衣装の男たちが鈴をつけた脚を振り、ハンカチを振り回しながら踊っている。アコーディオンとフィドルの音が響き、見物人はビール片手に眺める。初めて見ると「何が起きているのか」と戸惑うが、これがモリスダンス——イギリスで600年以上続く伝統舞踊だ。

モリスダンスとは

モリスダンス(Morris dance)は、イギリス各地に伝わるフォークダンスの総称だ。6〜8人の踊り手がグループで踊るのが基本で、アコーディオン、フィドル(バイオリン)、メロディオンなどの生演奏に合わせる。

最古の記録は1448年。ロンドンの金細工師組合の会計帳簿に「Morris dance」への支払いが記されている。ただし、ダンスそのものはそれ以前から存在していた可能性が高い。

名称の由来は「Moorish(ムーア人の)dance」が訛ったものとする説が有力だが、確定していない。15世紀のヨーロッパで流行した「異国風の踊り」がイギリスに入り、独自の発展を遂げたとされる。

地域ごとのスタイル

モリスダンスは1つの踊りではない。イギリスの地域によって全く異なるスタイルがある。

コッツウォルズ・モリス: 最も有名で「モリスダンス」のイメージそのもの。白い衣装に鈴、ハンカチを持って踊る。オックスフォードシャー、グロスタシャーなどイングランド中部が発祥。6人の踊り手が対面して踊る。軽やかでリズミカル。

ボーダー・モリス: ウェールズとイングランドの国境地帯(ヘレフォードシャー、シュロプシャーなど)に伝わる。顔を黒く塗る(または派手に塗る)のが特徴で、動きはコッツウォルズよりワイルド。木の棒を打ち合わせる動作が含まれる。

ノースウェスト・モリス: ランカシャー、ヨークシャーなどイングランド北西部。産業革命期の労働者文化と結びついており、木靴(clogs)で踊るクロッグダンスの要素がある。

モリー・ダンス: イースト・アングリア地方の伝統。男性が女装して踊る。農閑期(Plough Monday、1月の最初の月曜日)に行われていた。

なぜ「消えない」のか

19世紀末、モリスダンスは消滅寸前だった。産業革命で農村人口が都市に流出し、踊り手がいなくなった。

転機は1899年、民俗学者セシル・シャープ(Cecil Sharp)がオックスフォードシャーのヘディントンで偶然モリスダンスを目撃したことだ。シャープはこの踊りを記録し、全国を回って各地のモリスダンスを収集した。1911年にはThe Morris Ring(モリス同盟)の前身となる組織を設立し、踊りの継承と普及に努めた。

シャープの活動がなければ、モリスダンスは20世紀初頭に途絶えていた可能性が高い。彼の収集した踊りの記録は現在もThe Vaughan Williams Memorial Library(ヴォーン・ウィリアムズ記念図書館)に保管されている。

現在、イギリス全国にモリスダンスのチーム(「side」と呼ぶ)は約800存在する。The Morris Ring、The Morris Federation、Open Morris の3つの全国組織に登録されているチームだけでこの数で、未登録のチームを含めるとさらに多い。

ジェンダーと論争

モリスダンスは長らく「男性だけの踊り」だった。The Morris Ring は1934年の設立以来、男性のみの加盟を原則としてきた(2018年に一部緩和)。

女性ダンサーを受け入れるThe Morris Federation(1975年設立)とOpen Morris(1979年設立)が別に組織されたのは、この排他性への反発からだ。現在では女性のモリスダンサーは珍しくないが、伝統主義者との間で論争が続いている。

顔を黒く塗るボーダー・モリスの慣習も、近年は議論の的だ。起源は「変装のため」「煤を塗った鍛冶屋の伝統」など諸説あるが、人種差別との関連で批判を受け、多くのチームが廃止したり、緑や青など別の色に変更したりしている。

どこで見られるか

モリスダンスを見る最良の機会は5月1日(May Day)だ。オックスフォードのMagdalen College前では、夜明け前に塔の上で聖歌が歌われた後、橋の上や路上でモリスダンスが踊られる。ロンドンでは、サウスバンク、コヴェントガーデン、各地のパブの前庭で見かける。

夏季(5月〜9月)は各地のフォークフェスティバルでモリスダンスが行われる。特に有名なのは以下だ。

  • Sidmouth Folk Festival(デヴォン、8月): イギリス最大級のフォークフェスティバル
  • Chippenham Folk Festival(ウィルトシャー、5月)
  • Whitby Folk Week(ヨークシャー、8月)

また、クリスマスからTwelfth Night(1月6日)にかけて、各地のパブでモリスダンスが行われることもある。「パブ+モリスダンス」はイギリスの田舎の風景として定番だ。

参加できるのか

外国人でもモリスダンスのチームに参加できる。多くのsideは新メンバーを歓迎しており、経験不問。練習は週1回、地元のパブやコミュニティホールで行われることが多い。

装備は白いシャツ、白いズボン、鈴(shin bells)、ハンカチ。チームごとに揃いの衣装があり、入会後に購入するか貸してもらえる。年会費は£20〜50(約3,900〜9,750円)程度。

モリスダンスは「イギリスで最もイギリスらしい伝統文化」でありながら、イギリス人の間でも「ちょっとダサい」「おじいちゃんの趣味」という認識がある。しかし、その「ダサさ」を自覚しながら600年間続けているところに、イギリス文化の一筋縄ではいかない奥深さがある。パブの前で鈴を鳴らしながら踊るおじさんたちを見て、笑うかリスペクトするかは、イギリス理解の度合いを測るリトマス試験紙かもしれない。

コメント

読み込み中...