イギリスのNHSと日本の健康保険、在住日本人にとって何が違うのか
NHS(無料だが待つ)vs 日本の健康保険(有料だが早い)のトレードオフを実際の数字で比較。GP待ち時間・専門医紹介・民間保険の組み合わせを整理し、何を優先するかで選ぶ話として書く。
この記事の日本円換算は、1GBP≒211円で計算しています(2026年4月時点)。為替は変動するので、現地通貨(GBP)の金額を基準にしてください。
イギリスのNHSは医療費が原則無料。日本の健康保険は3割負担だが、予約すればすぐ診てもらえる。どちらが良いかではなく、何を優先するかで結論が変わる話だ。
NHSの基本構造
NHS(National Health Service)は、イギリスの居住者が利用できる公的医療制度だ。GP(General Practitioner、かかりつけ医)への登録が起点となり、GPが必要と判断した場合に専門医(Consultant)に紹介される。
費用: 診察料は無料。処方薬はイングランドで1処方あたりGBP 9.90(約2,090円、2025年時点)。スコットランド・ウェールズ・北アイルランドでは処方薬も無料。
IHS(Immigration Health Surcharge): ビザ申請時にNHSの利用料として年間GBP 1,035(約218,385円)を前払いする(2025年時点、UK Home Office)。6ヶ月以上のビザ申請者が対象。
GP待ち時間の実態
NHSの最大の問題は待ち時間だ。
NHS Englandの2025年データによると、GP予約は以下の状況にある。
| 指標 | 数値 |
|---|---|
| 年間GP予約件数 | 約3.6億件 |
| 患者1人あたり年間予約回数 | 5.88回(2018年: 5.22回) |
| GP1回の予約にかかる平均待ち日数 | 1〜14日(地域差大) |
| 「当日予約が取れた」割合 | 約40% |
「緊急」と判断されれば当日に診てもらえるが、定期的な相談や軽度の症状では数日〜2週間待つことがある。
専門医への紹介: 13.6週間
GPが専門医に紹介した場合の待ち時間はさらに長い。
NHS Englandの「Referral to Treatment(RTT)」データ(2025年10月時点):
| 指標 | 数値 |
|---|---|
| 治療開始までの中央値待ち時間 | 13.6週間 |
| 18週以内に治療開始した患者の割合 | 62%(目標92%) |
| 待機リスト合計 | 約739万件 |
コロナ前の2019年1月は中央値7.8週間だったので、約1.7倍に延びている。
具体的な場面で言うと、GPに「膝が痛い」と相談し、整形外科の専門医に紹介されると、初診まで3ヶ月以上待つことがある。MRI等の検査にはさらに数週間。手術が必要な場合は半年待ちも珍しくない。
日本の健康保険との比較
| 項目 | NHS(イギリス) | 健康保険(日本) |
|---|---|---|
| 自己負担率 | 0%(処方薬GBP 9.90除く) | 3割(高額療養費制度あり) |
| GP/かかりつけ医 | 登録制。予約に1〜14日 | 予約なしで当日受診可(一部予約制) |
| 専門医アクセス | GP紹介が必須。中央値13.6週間待ち | 自分で直接受診可。当日〜数日 |
| 入院費 | 無料 | 3割負担(高額療養費で上限あり) |
| 歯科 | NHS歯科は3段階定額(GBP 26.80〜319.10) | 3割負担 |
| 救急 | A&E(Accident & Emergency)で無料 | 3割負担 |
日本人在住者が実際に感じるギャップ
日本の医療に慣れた日本人がNHSで最も戸惑うのは、以下の3点だ。
1. 「自分で専門医を選べない」 日本では「皮膚科に行きたい」と思ったら直接皮膚科に行ける。NHSではGPを経由しなければ専門医に会えない。GPが「紹介の必要なし」と判断すれば、専門医を受診できない。
2. 「軽い症状では診てもらえない感覚がある」 GPは「緊急性の高い患者」を優先するため、軽度の風邪や腹痛で予約を取ると「薬局で市販薬を買ってください」と言われることがある。日本のように「念のため病院で診てもらう」という使い方はNHSの設計に合わない。
3. 「待っている間に症状が悪化する不安」 専門医の待ち時間が数ヶ月の場合、その間に症状が進行するリスクがある。NHSは「緊急なら優先して診る」仕組みだが、「緊急ではないが早く対処したい」ケースがカバーされにくい。
民間保険(Private Health Insurance)という選択肢
NHSの待ち時間を回避するために、民間医療保険(PMI: Private Medical Insurance)に加入する在住日本人は多い。
| プラン | 月額保険料(GBP) | 日本円換算 | カバー範囲 |
|---|---|---|---|
| ベーシック(入院のみ) | 50〜80 | 10,550〜16,880円 | 入院・手術 |
| スタンダード | 80〜150 | 16,880〜31,650円 | 入院・外来・専門医 |
| コンプリヘンシブ | 150〜300 | 31,650〜63,300円 | 入院・外来・歯科・眼科含む |
民間保険を使えば、専門医の予約が数日〜数週間に短縮される。私立病院(Private Hospital)で受診でき、待ち時間の問題はほぼ解消する。
ただし費用は高い。スタンダードプランで月GBP 100(約21,100円)、年間GBP 1,200(約253,200円)。IHS(年GBP 1,035)と合わせると、年間GBP 2,235(約471,585円)の医療関連費用になる。
何を優先するかで選ぶ
| 優先事項 | NHS活用 | NHS + 民間保険 |
|---|---|---|
| 費用を最小限に抑えたい | ○ | × |
| 専門医に早く診てもらいたい | × | ○ |
| 日本語対応の医療機関 | × | △(ロンドンに数件あり) |
| 歯科を定期的に利用したい | △(NHS歯科は登録が難しい) | ○ |
| 救急対応 | ○(A&Eは即時対応) | ○ |
NHSは「命に関わる状態」と「軽度の風邪」には機能する。前者は優先的に処理され、後者は市販薬で済む。問題は「緊急ではないが放置したくない」中間領域だ。
年間25万円の民間保険を高いと見るか、「安心」の対価と見るかは、個人の健康状態と価値観次第だ。持病がある場合や、子どもがいる家庭では民間保険の価値は大きい。