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赤いポピーの踏み絵——イギリスの戦没者追悼が「着用義務」になるとき

毎年11月、イギリス中の人々が赤いポピー(ケシの花)を胸に付ける。追悼の象徴であるこの花が、「付けないと批判される」政治的な踏み絵になっている現実と、白いポピーという対抗文化。

2026-05-13
イギリスポピーRemembrance Day戦没者追悼文化政治

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毎年10月下旬から11月11日にかけて、イギリスの街を歩くと、ほぼ全員の胸に赤い花が付いていることに気づく。赤いポピー(poppy)。ケシの花だ。BBCのニュースキャスターも、政治家も、サッカー選手も、スーパーのレジ係も。付けていない人を探す方が難しい。

これは戦没者追悼のシンボルだ。第一次世界大戦の西部戦線で、砲撃で掘り返された土壌にケシの花が群生したことに由来する。Royal British Legion(王立英国在郷軍人連盟)が毎年製造・販売し、収益は退役軍人の支援に充てられる。

ここまでは美しい話だ。問題は、このポピーが「自発的な追悼」から「社会的義務」に変質していることだ。

「ポピー・ファシズム」

2006年、ジャーナリストのジョン・スノー(Channel 4 News)が「ポピー・ファシズム」という言葉を使った。テレビに出演する人間がポピーを付けていないと、SNSで炎上し、愛国心がないと批判される。2018年には、ポピーを付けていなかったFIFAアナウンサーに対して大量の苦情が寄せられた。

公共放送のBBCでは、10月下旬からほぼ全員のキャスターがポピーを付ける。公式の義務ではないとされているが、付けないという選択は事実上の政治的声明になる。

サッカーのプレミアリーグでは、11月のインターナショナルブレイク前後にポピーを付けたユニフォームでプレーする。2016年、FIFAが「政治的・宗教的シンボルの着用禁止」を理由にポピーの着用を認めなかったとき、イングランドとスコットランドのサッカー協会はFIFAに反発し、罰金を支払って着用を強行した。

白いポピー——対抗文化

赤いポピーに対抗する形で、1933年から「白いポピー」が存在する。Women's Co-operative Guildが始め、現在はPeace Pledge Unionが製造・販売している。

白いポピーは「全ての戦争犠牲者(民間人含む)の追悼」と「平和への願い」を表すとされる。赤いポピーが「イギリス軍の犠牲者」に焦点を当てるのに対し、白いポピーは敵側の犠牲者も含む——という立場だ。

白いポピーを付けることは、赤いポピー以上に政治的な行為と見なされる。「軍への侮辱」と批判されることもあれば、「戦争の美化への抵抗」として支持されることもある。両方のポピーを並べて付ける人もいる。

なぜイギリスだけ突出しているのか

オーストラリアやカナダにもポピーの文化はあるが、イギリスほど「全員が付ける」空気にはなっていない。フランスやドイツには同等の慣習がない。

一つの仮説は、イギリスの戦争体験の位置づけにある。第一次・第二次世界大戦でイギリスは「勝利した側」だ。勝者の追悼は敗者の追悼と異なり、「正しい戦い」の記憶と結びつきやすい。戦争への批判と追悼が分離され、追悼だけが儀式化される。

もう一つは階級文化との関連だ。ポピーを付けることは「イギリス人としての帰属」を示す行為だ。付けないことは「この共同体に属する意思がない」と読まれるリスクがある。移民やマイノリティにとって、ポピーは「統合の証」として機能する面がある。

Remembrance Sundayの11時

11月11日に最も近い日曜日がRemembrance Sunday。午前11時、イギリス全土で2分間の黙祷(silence)が行われる。ロンドンのWhitehall(政府庁舎街)にある戦没者記念碑Cenotaph(セノタフ)では、国王・首相・退役軍人が参列する式典が行われる。

11時の黙祷は職場でも学校でもスーパーでも行われる。レジが止まる。会話が止まる。2分間の完全な静寂。初めて体験すると、その徹底ぶりに圧倒される。

在住者として

ポピーを付けるかどうかは個人の選択だ。Royal British Legionの立場も「自発的な寄付と追悼」であり、強制ではない。ポピーの紙製バッジはRoyal British Legionのボランティアが駅やスーパーの前で販売しており、寄付金は自由(最低金額なし)。£1〜£2が相場だ。

付けることに抵抗がなければ、11月の間だけでもジャケットに付けておくと、職場や近所での会話がスムーズになる。付けないなら、それも一つの選択だ。ただし「なぜ付けないのか」と聞かれる可能性があることは知っておいた方がいい。

赤いポピーの背後にある歴史と政治を理解した上で、自分なりの距離感を見つける。それがイギリスに住むということの一部だ。


主な参照: Royal British Legion公式サイト、Peace Pledge Union White Poppy資料、BBC "The Poppy Debate"シリーズ、Imperial War Museum Remembrance展示

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