イギリスのパブは飲み屋じゃなくて、公共インフラだ
イギリスのパブは年齢・階級・職業を超えて人が集まる公共空間。飲み屋としてではなく社会インフラとして、日本のコンビニと比較しながらその機能を読む。
イギリスに住む日本人がパブに行くと、最初は「飲み屋」として理解する。ビールを飲む場所。金曜の夜に同僚と行く場所。居酒屋の英国版。
でも住んでいるうちに気づく。パブは飲み屋ではない。少なくとも「飲み屋」という日本語のカテゴリでは捉えきれない何かがある。
パブの「公共性」
Pub の語源は Public House だ。直訳すれば「公共の家」。この名前自体が、パブが個人の所有物ではなく地域社会の共有財であることを示している。
イギリスのパブには「来てはいけない人」がいない。18歳以上なら誰でも入れる(家族連れも多い。子どもが遊ぶスペースのあるパブも珍しくない)。スーツの銀行員と、作業着の配管工と、犬を連れた年金生活者が同じカウンターに立つ。注文方法は全員同じ——カウンターに行って自分で頼む。テーブル担当のウェイターはいない。
この「カウンターで自分で頼む」システムが、実は階級の無力化装置になっている。レストランのようにウェイターに注文するスタイルだと、席のランクやサービスの質で差がつく。パブではCEOも新入社員も同じ列に並んで同じバーテンダーからビールを受け取る。
日本のコンビニとの比較
日本で「誰でも入れて、24時間開いていて、地域の結節点になっている場所」を探すと、コンビニに行き着く。
コンビニとパブは驚くほど似た機能を果たしている。
| 機能 | イギリスのパブ | 日本のコンビニ |
|---|---|---|
| 誰でも入れる | ○ | ○ |
| 地域の結節点 | ○ | ○ |
| 情報交換の場 | ○(会話) | △(掲示板・張り紙) |
| 災害時の拠点 | ○ | ○ |
| 社会的孤立の防止 | ○(常連との会話) | △(会話は少ない) |
| 滞在時間 | 長い(数時間) | 短い(数分) |
| 飲食 | ○ | ○ |
| 深夜営業 | △(23時頃まで) | ○(24時間) |
決定的な違いは「滞在時間」と「会話」だ。
コンビニは「効率的に用を済ませて出る場所」。長居は想定されていない。パブは「長く留まって人と話す場所」。2〜3時間いるのが普通で、隣の人に話しかけるのも普通。
この差が、社会的機能の違いを生む。コンビニは便利だが、コンビニで友人はできない。パブでは友人ができる。常連同士が顔見知りになり、地域のネットワークが形成される。
パブの閉鎖が社会問題になる理由
イギリスではパブの閉鎖が深刻な社会問題として報道される。CAMRA(Campaign for Real Ale)の調査によると、2000年代以降、年間数百軒のペースでパブが閉鎖している。
パブが閉まると何が起きるか。地域の「集まる場所」がなくなる。特に農村部やロンドン郊外の小さな町では、パブが唯一の社交の場だったケースが多い。パブがなくなった町では、高齢者の孤立が進み、地域の情報伝達が機能しなくなり、犯罪が増えるという研究もある。
日本で「コンビニが撤退した限界集落」が問題になるのと構造は似ているが、パブの場合は「社交の場の消失」という次元が加わる。コンビニの撤退は買い物の不便。パブの閉鎖は人間関係の断絶だ。
パブクイズという社会装置
毎週火曜か水曜の夜に、多くのパブで「パブクイズ」が開催される。チームを組んで一般教養の問題に答える。賞品はビール1ラウンドかバウチャー程度。大した金額ではない。
だがパブクイズの本質的な機能は、賞品ではなく「チームを組む口実」にある。1人で来た人が「チーム足りないんだけど入らない?」と声をかけられる。引っ越してきたばかりの人が、クイズを通じて地域の人と知り合う。年齢も職業も関係ない。雑学の知識だけが共通言語になる。
日本の居酒屋にこの機能はない。居酒屋は「既存の人間関係を強化する場所」であって、「新しい人間関係を作る場所」ではない。知らない人に話しかけるのは、日本の居酒屋では「変な人」扱いされかねない。パブでは「普通のこと」だ。
日本人がパブで経験すること
イギリスに住む日本人がパブに通い始めると、最初は戸惑う。知らない人が話しかけてくる。「Where are you from?」から始まって、天気、サッカー、地域のゴシップ——話題は脈絡がない。
でも3ヶ月もすると、バーテンダーが顔を覚えてくれる。「いつものやつ?」と聞かれる。隣のおじさんが「先週の試合見た?」と話を振ってくる。自分がこの地域の一部になっていく感覚がある。
日本の居酒屋で常連になっても、店員との関係はできるが、他の客との関係は生まれにくい。パブでは「店」を介して「客同士」がつながる。この構造の違いは大きい。
Public House の意味
パブが公共インフラだという見方は大げさに聞こえるかもしれない。でも「年齢・階級・職業を超えて、地域の人間が定期的に集まり、会話する場所」を他に探すのは難しい。
教会がその機能を持っていた時代もあった。今はパブがその後継だ。そしてそのパブも減っている。代わりに増えているのは、自宅でNetflixを見る個人の時間。社交の場がなくなることの社会的コストは、パブが閉まった後に初めて分かる。
パブでビールを飲むとき、「これは公共サービスの利用料なんだ」と思うと、1パイント4〜6ポンド(約800〜1,200円)の値段の見え方が少し変わる。