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Right to Roam——イギリス人が他人の土地を歩ける法的根拠

イングランドとウェールズでは、2000年のCRoW法により、山地・荒野・ダウンランドなどのopen access landを自由に歩く権利が法律で保障されている。土地の私有と公共アクセスの間で揺れる、800年の闘争史。

2026-05-13
イギリスRight to RoamCRoW法フットパス公共アクセス土地所有

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イギリスの田園地帯を歩いていると、畑の真ん中を横切る小道がある。柵にはstile(踏み越し段)が設置されている。この小道はfootpath(フットパス、歩行者用の公共通行路)であり、たとえそこが個人所有の農地であっても、一般の人が通行する法的権利がある。

イングランドとウェールズには約19万kmのフットパスとブライドルウェイ(馬・自転車も通れる道)が登録されている。日本の高速道路の総延長(約1万km)の19倍だ。これに加えて2000年のCRoW法(Countryside and Rights of Way Act)により、mountain、moor、heath、down、registered common landの合計約86万ヘクタール(日本の滋賀県の面積の約2倍)が「open access land」に指定され、道がなくても自由に歩ける。

Kinder Scout Mass Trespass——1932年の転換点

Right to Roamの歴史は、1932年のKinder Scout Mass Trespass(キンダー・スカウト大量不法侵入)に遡る。

ピーク・ディストリクト(Peak District)のKinder Scoutは、マンチェスターやシェフィールドの工業都市から近い山地だ。しかし当時、この土地は狩猟目的で私有地として閉鎖されており、労働者階級の市民が歩くことは許されていなかった。

1932年4月24日、約400人の労働者が組織的にKinder Scoutに不法侵入した。ガメキーパー(猟場番人)との衝突が起き、5人が逮捕・投獄された。この事件がメディアで大きく報じられ、「土地は誰のものか」という問いがイギリス社会に突きつけられた。

Kinder Scout Mass Trespassから70年後の2000年、CRoW法が成立した。

誰の土地なのか

イギリスの土地所有構造は極めて偏っている。イングランドの土地の約50%は人口の1%未満の地主が所有しているという推計がある(Guy Shrubbsole "Who Owns England?" より)。貴族、企業、教会、王室——中世からの土地所有構造が現代まで残っている。

Right to Roamは、この所有構造に風穴を開ける制度だ。「土地は所有者のものだが、歩く権利は公共のものだ」という原則。所有権を否定するのではなく、所有権の上に通行権を重ねるという発想だ。

フットパスは法的に登録されており、所有者が一方的に閉鎖・廃止することはできない。もし農地の真ん中にフットパスがあれば、農家はその道を維持し、stileやgate(門)を設置して通行を可能にする義務がある。

スコットランドは更に進んでいる

スコットランドのLand Reform (Scotland) Act 2003は、イングランドのCRoW法よりさらに広い「access rights(アクセス権)」を認めている。スコットランドでは、ほぼすべての土地(農地、森林、河川敷を含む)に対して、歩行・自転車・乗馬・キャンプの権利がある。唯一の条件は「責任ある行動(Scottish Outdoor Access Code)」に従うことだ。

畑を横切れる。川で泳げる。山でキャンプできる(wild camping)。日本では想像しにくいが、スコットランドではこれが法的権利だ。

Right to Roamの制限と論争

Right to Roamは無制限ではない。以下の場所には適用されない。

  • 住居とその庭(garden)
  • 耕作中の農地(イングランドではopen access landに含まれない)
  • 鉄道・軍事施設
  • Grouse shooting(ライチョウ猟)のシーズン中は一時的に制限される場合がある

近年の論争は「Right to Roamを農地にも拡大すべきか」という点に集中している。キャンペーン団体「Right to Roam」は、イングランドのアクセスをスコットランド並みに拡大することを求めている。地主団体(Country Land and Business Association等)はこれに反対し、「農業への悪影響」「犬による家畜への被害」を理由に現行制度の維持を主張している。

在住者としての歩き方

イギリスに住む最大の特権の一つが、このフットパスとopen access landだ。週末にOS Map(Ordnance Survey地図)を持って田園地帯を歩く。畑の中の小道を辿り、stileを越え、羊の横を通り、丘の上に出る。途中のパブでビールを飲んで帰る。

OS Mapsアプリ(年額£29.99、約5,850円)を入れておくと、フットパスとopen access landがすべて表示される。Komootや AllTrailsでルートを検索するのもいい。

日本には「山を歩く」文化はあるが、「農地の中を通る」文化はない。イギリスに住むと、「ここは誰かの土地だが、自分が歩く権利がある」という不思議な感覚を何度も味わう。800年かけて勝ち取った権利の上を、散歩している。


主な参照: Countryside and Rights of Way Act 2000、Land Reform (Scotland) Act 2003、Ramblers Association統計、Guy Shrubbsole "Who Owns England?"(2019)

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