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紅茶の帝国——イギリス人が年間1,000億杯を飲む「国民的習慣」の経済学

イギリスの年間紅茶消費量は約1,000億杯、国民一人あたり1日約4杯。紅茶は嗜好品ではなく社会インフラだ。ティーバッグの経済、Builder's Teaの流儀、そして紅茶離れの静かな進行。

2026-05-13
イギリス紅茶TeaBuilder's Teaティーバッグ食文化

この記事の日本円換算は、1GBP≒195円で計算しています(2026年4月時点)。為替は変動するので、現地通貨(GBP)の金額を基準にしてください。

イギリスでは1日に約1億6,500万杯の紅茶が飲まれている(UK Tea & Infusions Association推計)。年間では約600億杯(一説では1,000億杯とも)。国民一人あたり1日約2.5〜4杯。コーヒーが台頭しても、紅茶はイギリスの基盤的飲料の地位を維持している。

しかし、イギリスが自国で紅茶を栽培しているわけではない。茶の産地はインド、ケニア、スリランカ、中国。イギリスは紅茶を「生産」ではなく「ブレンド」で支配した国だ。

Cuppa(カッパ)の作法

イギリスで「a cup of tea」は「cuppa」と短縮される。「Fancy a cuppa?(紅茶いる?)」は、イギリス社会で最も頻繁に交わされる問いかけの一つだ。

イギリス式の紅茶の作り方は、日本人が想像するアフタヌーンティーとはかなり違う。

  1. マグカップにティーバッグを入れる
  2. 沸騰したお湯を注ぐ
  3. 3〜5分蒸らす(ここで好みが分かれる。「strong(濃い)」か「weak(薄い)」か)
  4. ティーバッグを取り出す
  5. ミルクを入れる(ここが最大の論争点。先にミルクか、後にミルクか)
  6. 砂糖を入れる人は入れる(1〜2杯)

この「ミルクティー」がイギリスの標準だ。ストレートティーはマイノリティ。レモンティーはほぼ存在しない。

Builder's Tea——階級を超える一杯

「Builder's Tea」は、建設作業員が飲むような「濃くて甘いミルクティー」を指す。ティーバッグを長く蒸らし、ミルクをたっぷり入れ、砂糖を2杯。マグカップは大きくて実用的なもの。これが「イギリスの紅茶」の最も大衆的な形だ。

興味深いのは、Builder's Teaが階級を超える飲み物だという点だ。貴族のアフタヌーンティー(細い磁器のカップ・サンドイッチ・スコーン)と、建設現場のBuilder's Tea(大きなマグ・ビスケットを浸す)は、同じ「紅茶」でありながら全く異なる社会的文脈を持つ。

しかしオフィスでは両方が混じる。弁護士も銀行員もエンジニアも、オフィスのキッチンで同じケトルからお湯を注ぎ、同じティーバッグ(PG Tips、Yorkshire Tea、Tetley——この3ブランドが市場の約7割を占める)を使う。

ティーバッグの経済学

イギリスで消費される紅茶の約96%がティーバッグだ(UK Tea & Infusions Association)。リーフティー(茶葉)は4%にすぎない。

主要ブランドの価格帯(80パック入り):

  • PG Tips: £2.50〜£3.50(約488〜683円)。1杯あたり約3〜4p(約6〜8円)
  • Yorkshire Tea: £3.00〜£4.00(約585〜780円)。北イングランドで圧倒的人気
  • Tetley: £2.50〜£3.50(約488〜683円)。丸型ティーバッグが特徴
  • Twinings: £3.50〜£5.00(約683〜975円)。やや高級路線。フレーバーティーが多い

1杯3〜8円。世界で最も安い精神安定剤と呼ばれる所以だ。危機のとき、悲しいとき、嬉しいとき——イギリス人の反応はすべて「I'll put the kettle on.(ケトルを沸かすよ)」から始まる。

紅茶の帝国史

イギリスと紅茶の関係は、帝国主義の歴史そのものだ。

17世紀、紅茶は中国からの高級輸入品だった。イギリスは紅茶の対価として銀を中国に支払い、貿易赤字が拡大した。赤字を解消するためにイギリスがインドで栽培したアヘンを中国に売りつけ、アヘン戦争(1839-1842年)が起きた。紅茶がなければアヘン戦争はなかった、という見方は誇張ではない。

19世紀、イギリスはインド(アッサム、ダージリン)とスリランカ(セイロン)に大規模な茶園を開発した。現地の労働者を低賃金で使い、紅茶を大量生産してイギリスに輸入した。この植民地茶園の構造が、紅茶を「高級品」から「日常品」に変えた。

現在、イギリスの紅茶の最大の輸入元はケニアだ。インドとスリランカが続く。植民地時代の貿易ルートが、形を変えて今も生きている。

紅茶離れと新潮流

イギリスの紅茶消費量は長期的に減少傾向にある。2010年代以降、コーヒー(特にフラットホワイト、オーツミルクラテなど)の台頭と、若年層のハーブティー・フルーツティーへの移行が進んでいる。

紅茶市場は「量の減少」を「質の上昇」で補おうとしている。スペシャルティティー、シングルエステート(単一農園)、抹茶、チャイなど、高付加価値製品へのシフトだ。

ただし、Builder's Teaは消えない。朝の1杯、午前10時のティーブレイク、午後3時のティーブレイク——この構造はオフィスにも工場にも家庭にも組み込まれている。紅茶はイギリスのOSのバックグラウンドプロセスのようなもので、意識されないが止まると全体が止まる。


主な参照: UK Tea & Infusions Association年間統計、Mintel UK Tea Market Report 2024、British Museum "A History of the World in 100 Objects" 茶関連資料

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