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ゼロアワーコントラクト——保証ゼロの労働契約で働く100万人の現実

イギリスのゼロアワーコントラクトの仕組みを解説。最低労働時間の保証なし、シフトの拒否権、メリットとデメリット、在住者が知っておくべき労働者の権利。

2026-05-04
ゼロアワーコントラクト労働ギグワーク

この記事の日本円換算は、1GBP≒195円で計算しています(2026年4月時点)。為替は変動するので、現地通貨(GBP)の金額を基準にしてください。

「来週のシフトはありません」——この一文で来週の収入がゼロになる。イギリスのゼロアワーコントラクト(Zero-hours contract)の現実だ。ONS(国家統計局)のデータによると、2024年時点でゼロアワーコントラクトで働く人は約100万人。イギリスの労働力人口の約3%だ。飲食業、小売、介護、配達——低賃金セクターに集中しているが、大学の非常勤講師やNHSの看護スタッフにも広がっている。

ゼロアワーコントラクトとは

ゼロアワーコントラクト(Zero-hours contract, ZHC)は、雇用主が最低労働時間を保証しない雇用契約だ。「必要なときに呼ぶので来てください」という形で、週のシフトが0時間になる可能性がある。

法的には「worker」(労働者)または「employee」(被用者)の地位を持つが、日本の正社員に相当する安定した雇用関係ではない。いつ仕事があるか分からない、というのが最大の特徴だ。

ZHCは2010年代に急増した。リーマンショック後の景気回復期に、企業が固定人件費を抑えるためにZHCを多用し始めた。スポーツダイレクト(Sports Direct)、マクドナルド、Uber Eatsなど大手企業での利用が報道され、社会問題化した。

シフトの仕組み

典型的なZHCの働き方はこうだ。

毎週木曜日に翌週のシフト表がアプリに表示される。月曜6時間、水曜4時間、金曜8時間——合計18時間。しかし次の週は月曜3時間だけかもしれないし、ゼロかもしれない。

法律上、労働者にはシフトを拒否する権利がある。雇用主はシフトの拒否を理由に不利益な扱いをしてはならない。しかし現実には、シフトを断り続けるとシフトが回ってこなくなる——「事実上の解雇」が起きうる。これは法的にはグレーゾーンだ。

時給と収入の不安定さ

ZHCでも最低賃金は適用される。2024年4月時点のNational Living Wage(21歳以上)は£11.44/時間(約2,231円)だ。

しかし、時給が保証されても労働時間が保証されないので、月収は大きく変動する。週20時間働ければ月約£990(約19.3万円)だが、週5時間しか入らなければ月約£248(約4.8万円)。家賃や光熱費は毎月固定なので、収入の不安定さは生活を直撃する。

住宅ローン、賃貸契約、クレジットカードの審査でも、ZHCであることは不利に働く。「安定した収入の証明」ができないためだ。

労働者の権利

ZHCで働いていても、以下の権利は保障されている。

最低賃金: National Minimum Wage / National Living Wage の適用 有給休暇: 年間5.6週分の有給休暇(法定最低)。ただし「hours worked」に基づくため、労働時間が少なければ有給の日数も少ない 差別禁止: 年齢、性別、人種等による差別は違法 排他条項の禁止: 2015年以降、ZHCに「他の雇用主で働いてはならない」という排他条項を入れることは違法

ただし、「employee」の地位が認められない限り、不当解雇の保護、整理解雇時の法定退職金、育児休暇の権利は得られない。ZHCの多くは「worker」扱いで、「employee」よりも保護が薄い。

どの業界に多いのか

ONSのデータによると、ZHCの割合が高い業界は以下の通り。

宿泊・飲食業: 全労働者の約10%がZHC 芸術・エンターテインメント: 約8% 保健・介護: 約5% 教育: 約3%(大学の非常勤講師に多い)

特に介護業界では問題が深刻だ。在宅介護の訪問スタッフがZHCで雇用されるケースが多く、訪問先への移動時間が無給、キャンセルされた訪問は報酬なし、という状況がある。介護の質への影響も指摘されている。

改革の動き

ゼロアワーコントラクトの規制は政治的な争点だ。

2024年に政権を取った労働党は、ZHCの実質的な廃止を掲げたEmployment Rights Billを議会に提出した。主な内容は以下だ。

  • 予測可能な労働パターンの権利: 一定期間の勤務実績がある労働者は、実績に基づいた最低労働時間の保証を求める権利を持つ
  • シフトのキャンセル補償: 短期間のシフトキャンセルに対して補償を義務づける
  • Day-one rights: 試用期間なしで初日から不当解雇の保護を適用

ただし、この法案が完全に施行されるのは2026年以降とされており、経営者団体からの反発も強い。

在住日本人への影響

ワーキングホリデー(YMS)ビザでイギリスに来た日本人が、ZHCの仕事に就くケースは少なくない。飲食店のウェイター、ホテルの清掃スタッフ、配達ドライバーなど。

ZHCの仕事自体は違法ではないし、短期間の柔軟な働き方としてはメリットもある。しかし、以下の点は知っておくべきだ。

  • シフトが保証されない: 生活費を計算する際は「最悪の週」を基準にする
  • 複数の雇用主を持つ: ZHCは排他条項が禁止されているので、複数の仕事を掛け持ちできる。収入安定のために2〜3つの仕事を持つ人は多い
  • 権利を知っておく: 有給休暇の取得、最低賃金の確認、シフト拒否の権利。ACAS(Advisory, Conciliation and Arbitration Service)のウェブサイトに権利の詳細が記載されている
  • ビザの条件を確認: YMSビザには週の労働時間制限がないが、他のビザ(学生ビザなど)には制限がある

ゼロアワーコントラクトは、「柔軟性」と「不安定性」のトレードオフだ。雇用主にとっては需要変動に対応できる便利な仕組みだが、働く側にとっては来週の収入が読めない不安と隣り合わせになる。イギリスの労働市場を理解するうえで、ZHCの存在は避けて通れないテーマだ。

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