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ある日、裁判所から手紙が来る——イギリスの陪審制が市民から奪う時間の話

18歳から75歳の有権者は、無作為に選ばれて陪審員になる義務がある。断れば罰金。この強制が何を守っているのかを、日当の額から考える。

2026-10-12
法律制度イギリス社会

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イギリスで有権者登録をしていると、ある日突然、裁判所から封筒が届くことがあります。陪審員召喚状(jury summons)です。

これは招待ではありません。18歳から75歳で、選挙人名簿に登録されており、13歳以降にイギリス等に5年以上居住していれば、対象になります。返送しない、あるいは出頭しない場合、最大1,000ポンド(約21万3,000円)の罰金が科され得るとされています。

日当は、生活を維持するための額ではない

陪審員は無給ではありませんが、報酬でもありません。休業損失に対する補償という位置づけです。

公表されている水準では、最初の10日間は1日あたり最大64.95ポンド(約1万3,800円)まで、11日目以降は最大129.91ポンド(約2万7,700円)までが補償されます。これに交通費と食費が別途支給されます。

雇用主は陪審員として出頭するための休みを認める義務がありますが、その期間に給与を支払う義務はありません。支払われない場合、上限の範囲で裁判所に請求することになる。

64.95ポンドという数字を年収に換算すると、ロンドンの平均的な給与水準には届きません。つまり制度は、参加によって多くの人が一時的に損をすることを織り込んでいます。

損をする設計であることに意味がある

ここが興味深いところです。もし陪審員に十分な報酬を払えば、陪審員を希望する人が現れる。志願制に近づく。

しかし志願者だけで構成された陪審は、もはや社会の断面ではありません。時間に余裕のある人、司法に関心のある人、報酬に魅力を感じる人に偏る。

無作為抽出で選び、辞退を難しくし、報酬を生活費未満に抑える。この三点セットは、陪審員の構成を人口の縮図に近づけるための装置だと読めます。統計のサンプリングで、回答したい人だけを集めると母集団が歪むのと同じ理屈です。

社会が負担しているのは金銭ではなく、市民の時間そのものだ、ということになります。

12人の素人が事実を決める

陪審が判断するのは「事実」であって「法」ではありません。法の解釈は裁判官が示し、その枠内で、被告が起訴事実を行ったかどうかを陪審が決める。

この分業は、専門知識を持たない人々に事実認定を委ねることを意味します。素人に任せるより専門家のほうが正確だ、という反論は当然あり得る。

それでもこの制度が残っているのは、裁判が正確さだけを目的にしていないからでしょう。国家が個人を処罰する場面で、処罰の判断を国家の職員だけで完結させない。権力の外側に一つ関門を置く。イギリスの憲法的な仕組み全般に見られる、権力を分散させて相互に牽制させる発想の延長にあります。

在住日本人が受け取る可能性

召喚の基礎になるのは、国籍そのものではなく選挙人名簿への登録です。イギリス市民である必要はなく、アイルランド国籍者や一定のコモンウェルス諸国の市民も、名簿に載っていれば対象になります。

イングランドと北アイルランドの選挙人登録の資格は、イギリス・アイルランド・一定のコモンウェルス諸国の市民と、デンマーク・ルクセンブルク・ポーランド・ポルトガル・スペインの市民、および2020年12月31日以前から継続して滞在許可を持つ他のEU諸国の市民に限られます。日本国籍のみの居住者は、ここに含まれません。

一方、スコットランドの制度は異なり、居住要件等を満たせば国籍を問わずスコットランド議会選挙・地方選挙の選挙人登録ができるとされています。登録の枠組みが違うため、地域によって状況が変わり得ます。

いずれにせよ、世帯に届いた封筒を「自分宛ではないだろう」と放置するのは避けたほうがいい。宛名を確認し、該当しないなら理由を添えて期限内に返送する。放置が罰則の対象になる点は変わりません。

出頭しても審理に入るとは限らない

召喚された全員が法廷に座るわけではありません。呼ばれた人の中から、事件ごとに陪審員が選ばれる。待機したまま日が終わることもあります。

この待機時間について、経験者が語る内容はおおむね共通しています。裁判所の待合室で、普段は接点のない職業・年齢・階層の人と並んで座る。階級が日常のあらゆる場面に染み出す社会で、そこだけは選別が働いていない空間になります。

無作為であることの副産物として、社会の断面がひとつの部屋に集まる。制度の目的ではないにせよ、この副産物のほうが記憶に残ると語る人は少なくありません。手紙が届いたら、面倒な二週間が来たと同時に、普段見ないイギリスを見る機会が来たということかもしれません。

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