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文化・社会構造の分析

1967年、世界最多の電気自動車を走らせていたのはイギリスだった——牛乳配達車という盲点

EVの歴史は21世紀に始まったわけではない。イギリスが半世紀前に世界最大の電動車両群を持っていた理由は、環境でも技術でもなく、朝の静けさだった。

2026-10-19
歴史交通イギリス社会

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電気自動車が普及したのは2010年代から——という認識は、ある一点で崩れます。

1967年8月、英国電気自動車協会(UK Electric Vehicle Association)が、イギリスの路上を走るバッテリー電気自動車の台数は世界の他の国の合計を上回る、という趣旨の発表を行いました。この時期のイギリスは、世界最大の電気自動車保有国でした。

ただし、その車両のほとんどは乗用車ではありません。ミルクフロート(milk float)——牛乳配達車です。

電動化の理由は静けさだった

なぜ牛乳配達に電気自動車が選ばれたのか。答えは環境性能でも燃費でもありません。

配達は夜明け前に行われます。住宅街を、人がまだ寝ている時間に走る。ディーゼルのバンで回れば、街区全体が目を覚ます。

1950年代から60年代にかけて、乳業各社は馬車による配達を廃止していきました。その置き換え先として、内燃機関ではなく電動車両が選ばれた。馬車から乗り換えるとき、失いたくなかったのは静粛性だったということです。

Smith Electric Vehiclesなどの製造業者は、この需要を土台に事業を組み立てました。バーミンガムの生協は1933年から1960年代にかけて、牛乳配達車・洗濯物運搬車・パン配達車として約1,300台の電動車両を購入したとされます。1980年代半ばには、United Dairiesの車両群は7,400台規模に達していたという記録があります。

用途が技術を選んだ

電気自動車の弱点は、当時も今も航続距離と充電時間です。1960年代の鉛蓄電池では、一回の充電で走れる距離はごく限られていた。

ところが牛乳配達という用途では、それが弱点になりません。走行距離は毎日ほぼ同じで、決まったルートを低速で回る。夜は車庫に戻り、朝までの数時間で充電できる。積載物は重いが、加速性能は求められない。

つまり技術が用途を選んだのではなく、用途が技術を選んだ。この順序は、現代のEV普及を考えるときにも示唆的です。バスや配送車の電動化が乗用車より先に進む地域があるのは、同じ論理が働いているからでしょう。

生態系で、特定の環境に適応した種が局所的に圧倒的な密度で生息することがあります。1960年代のイギリスの電気自動車は、まさにそういう状態でした。普遍的に優れていたのではなく、ある生息環境に完璧に適合していた。

牛乳配達が消えると車両も消えた

1980年代以降、スーパーマーケットでの牛乳購入が一般化し、戸別配達は急速に縮小しました。生息環境が消えると、そこに適応した種も消える。

イギリスの電気自動車保有台数は、この産業縮小とともに落ち込みました。世界最大の電動車両群は、環境政策でも技術革新でもなく、消費者の買い物行動の変化によって解体されたことになります。

いま「イギリスはEV後進国か」という議論をするとき、この歴史はほとんど参照されません。しかし、一度は世界最多だった国が、いったんそれを失ってから再出発している——という見方をすると、話の形が変わります。

街に残る痕跡

いまでも、早朝の住宅街で電動配達車の音を聞くことがあります。戸別配達は完全には消えておらず、限定的に残っている地域があります。

ガラス瓶で届く牛乳は、紙パックやプラスチック容器より環境負荷が低いという議論が出て、近年やや見直されてもいます。技術が一周して、かつての形が再評価される。

産業史では、こうした周回がしばしば起こります。イギリスの運河網も、貨物輸送としては役目を終えた後に、レジャーの水路として別の生を得ました。

インフラも技術も、消えるのではなく、用途を変えて残る。夜明け前の住宅街を静かに走る車は、その典型例として19世紀から21世紀までを走り抜けたことになります。

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