香港から出た人はどこへ行ったか——BNO移民の実態とイギリスが受け入れた数字
2020〜2024年の香港人口流出、BNO Visaでイギリスへ15万件超の申請、カナダ・オーストラリアへの移民、富裕層のシンガポール移転。残った人たちの理由と香港の人口・経済への影響。
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2020年6月、国家安全維持法(国安法)が施行されたとき、香港では「この先どうなるか」という問いが多くの人の頭の中で動き始めた。その問いへの答えは、人によって大きく分かれた——留まる人と、出る人に。
どれだけの人が出たのか
香港政府統計処のデータによると、2021年から2023年にかけて香港の人口は純減を続けた。2021年の人口は約740万人から2022年には729万人程度に減少し、2023年以降も減少傾向が続いたとされる。
ただし「移民数」の正確な把握は難しい。転出者の中に、本土(中国)への移動も含まれるためだ。国際的な人権団体や研究機関の推計では、国安法施行以降の2020〜2024年の累計流出は推計30万〜100万人と幅がある。数字の差は、「移民」をどう定義するか、どのデータを使うかによって変わる。
確実に把握できる数字のひとつが「BNO Visa申請数」だ。
BNO Visaとは何か
BNO(British National Overseas)は、1984年の英中共同声明(1997年の香港返還の交渉)の結果として設けられた特別な旅券資格だ。1997年以前に香港に居住していた英国国籍者(BNO保有者)に与えられる資格で、完全な英国市民権ではなく、かつては滞在権もなかった。
2021年1月、イギリス政府はBNO保有者と家族(配偶者・18歳未満の子等)に対して、最長5年の滞在権と就労権を付与する「BNO Visa」制度を開始した。5年後に居住権、その後に市民権申請が可能になる。
英国内務省の公式データによると、2021年1月の制度開始から2024年末までのBNO Visa申請数は合計15万件超に上る。家族単位での申請が多いため、実際の移住者数はこれより多い可能性がある。
主な移住先として知られるのはロンドン南部・ウェールズのカーディフ・マンチェスターなどだ。ロンドン南部(Surbiton等)には既存の英国在住香港人コミュニティがあり、その周辺に新たな移住者が集まる傾向がある。
カナダ・オーストラリアへの移民
BNOはカナダやオーストラリア在住者には直接的には使えないが(BNO保有者が多い地域の問題)、両国でも独自の香港人向け移民経路が整備された。
カナダ: 2021年に「Hong Kong Pathway」(CUAET:Canada-Ukraine Authorization for Emergency Travel に近いが香港向け)というわけではなく、就労許可(Open Work Permit)を大幅に拡大した。2021年2月〜2023年の間に香港居住者・元居住者を対象とした就労許可が多数発行された。ブリティッシュコロンビア州バンクーバー地区には既存の香港系コミュニティがあり、「第二波」の移住者を吸収した。
オーストラリア: 香港居住者向けの「HK/Macao Stream of the Global Talent Independent program」を整備し、2022年まで優遇的な永住権申請経路を設けた。シドニー・メルボルンへの移住が中心だ。
富裕層とシンガポール
移住先の中で、富裕層の移動先として注目されたのがシンガポールだ。
グローバルな富裕層・超富裕層の移住を追うNew World Wealthとヘンリー&パートナーズのレポートによると、2022〜2023年にシンガポールへの高純資産個人(HNWI)の流入が顕著に増加した。香港からの移転はその一部を占める。
シンガポールが選ばれる理由は複数ある。法人税・個人所得税が相対的に低い、英語が公用語、中国語(北京語・広東語)が通じるコミュニティがある、政治的安定性が高い、国際教育機関が揃っている、などだ。
ただしシンガポールの不動産・生活費は香港に次ぐ水準で、「香港からの逃避先」として生活コストが低くなるわけではない。「税制・法制度の安定性」を重視する富裕層・経営者が選ぶ移住先という性格が強い。
残った人たちの理由
流出の話が続くが、香港の人口は引き続き700万人以上を維持しており、大多数の人は留まっている。残った理由として挙げられるのは主に4つだ。
親族・コミュニティ: 高齢の親の面倒、長年の地域コミュニティ、ビジネス上のネットワーク。
不動産資産: 香港の不動産を持っている場合、売却タイミングや資産移転が容易ではない。資産が固定化している人ほど動きにくい。
経済的合理性: 香港の給与水準はイギリス・カナダより高い場合も多い。「移住してもキャリアが上がる保証がない」という現実的な判断がある。
あきらめ・慣れ: 国安法の影響を「思ったより日常に影響がない」と感じている層も一定数いる。
香港の人口・経済への影響
人口流出が経済に与える影響は2つの側面がある。
マイナス面は「高スキル人材・高所得者層の流出」だ。特に医療・法律・教育・金融分野でのプロフェッショナル不足が指摘されており、香港政府は2022年から「Top Talent Pass Scheme(ハイタレントパス制度)」を導入し、高学歴・高収入の外国人材を積極的に誘致している。
プラス面(一部で議論される側面)としては、中国本土からの人口流入がある。Mainland China出身の専門家・経営者・留学生の香港定着が増えており、「香港の北京語化・本土化」が進んでいるという観察も出ている。
「香港が変わった」という人と「香港のコアは変わっていない」という人が、今も同じ都市に住んでいる。外から見るより実態は複雑で、2020年代の香港を理解するためには、数字と並んでそこに住む人たちの声を拾い続けることが必要だ。
参考情報
- UK Home Office: BNO Visa statistics
- Hong Kong Census and Statistics Department: Population estimates
- New World Wealth / Henley & Partners: Global wealth migration reports
- Government of Canada: Hong Kong Pathway information
- Singapore Ministry of Manpower: Employment Pass statistics