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香港映画とカントポップ——衰退したと言われる文化産業の今

1980〜90年代に世界を席巻した香港映画とカントポップは今どこにあるのか。在住者の目から見た香港文化産業の現在地を解説。

2026-04-29
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1980年代の香港は、アジアのハリウッドだった。ジャッキー・チェン・ブルース・リー・ジョン・ウー・ウォン・カーウァイ——世界に名を残す監督・俳優が次々に生まれ、カントポップ(広東語ポップス)はアジア中でヒットチャートを塗り替えた。

それが2010年代以降、「香港映画は死んだ」と言われるようになった。本当にそうなのか。在住者として香港文化産業の現在を見ると、「衰退」という言葉だけでは説明しきれない複雑な状況がある。

産業としての数字

香港映画の製作本数は、1993年のピーク時に約230本だった。2022〜2023年時点では年間40〜60本程度まで落ちている(香港映画発展局データ)。中国本土市場を意識した合作映画が増え、広東語の香港映画としての独自性は薄れた。

カントポップも同様で、台湾・韓国の音楽産業の台頭によって、かつての「アジアのポップス首都」という地位は失われた。

消えたのではなく、変わった場所に移った

ただし、文化的な活力が消えたわけではない、という見方もできる。

香港の若いミュージシャン・映画作家の一部は、商業メインストリームではなくインディペンデントシーンで活動を続けている。ライブハウス(Fringe Club・Hidden Agenda等)のアンダーグラウンドシーンや、自主制作映画の配信プラットフォームへの移行が起きている。

また、2019年の社会運動以降、「抵抗の文化」としての音楽・詩・映像が地下で流通し続けているという側面もある。これは産業データには現れない文化の動きだ。

在住日本人の目に映る香港の文化消費

香港在住の日本人が感じるのは「映画・音楽よりも飲食と空間の文化が強い」という印象だ。

ヴィクトリアピーク・スターフェリー・茶餐廳(ちゃーちゃんてん)——香港独自の文化は建築・食・街の空気として残っている。茶餐廳は1950〜60年代に香港で生まれた独自の喫茶店文化で、ミルクティー・チャーシューパン・フレンチトーストを広東語で注文する体験は、今でも香港以外では再現できない。

「移民」した表現者たち

2020年の国家安全維持法施行以降、香港の文化人・表現者の一部がイギリス・カナダ・台湾へ移住した。香港映画を愛してきた人々にとって、これは「才能の流出」に見える。

一方で、移住した表現者が海外で香港文化を発信し続けるという新しい形も生まれている。「香港」という文化的アイデンティティは、地理に縛られずに拡散している。

産業規模で測れば確かに縮小した。ただし文化の「厚み」は、数字が示すほど単純には失われていない——というのが、実際に香港の街を歩いている者の感覚だ。

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