文化・社会構造の分析
埋め立てで広がった街——ヴィクトリア・ハーバーが狭くなった150年
香港のヴィクトリア港は150年以上にわたる埋め立てで、幅が大幅に縮小した。都市の成長と海の喪失——香港の都市史を「海岸線の変化」から読み解く。
2026-06-28
埋め立てヴィクトリア港都市史
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今の香港島・中環(セントラル)の海岸線と、100年前の海岸線を地図で重ねると、大きくずれていることに気づく。IFC(国際金融中心)が建つ場所も、MTRのコンベンションセンター駅周辺も、かつては海だった。
香港の「土地」の多くは、埋め立てによって作られた。
埋め立ての歴史
英国植民地下の1840年代から香港では埋め立て事業が始まった。港湾インフラの整備・市街地の拡大・鉄道路線の敷設——あらゆる開発が土地不足の香港では埋め立てと抱き合わせだった。
20世紀を通じてヴィクトリア港の幅は縮小し、1990年代末には「港が狭すぎる」という批判が高まった。
保護運動と「ヴィクトリア港条例」
2003〜2004年、市民運動の結果として「保護海港條例(ホワウジョーホォイトウジョー)」が強化され、ヴィクトリア港内での埋め立ては原則禁止となった。「不得繼續填海(埋め立てを続けてはならない)」という明確な法的保護が設けられた。
この市民運動は香港の民主化の文脈とも重なり、「自分たちの街を守る」という意識の表れとして評価されている。
今も続く沖合開発
港内の埋め立ては制限されたが、香港郊外の東大嶼都會(トンターユーダウウォイ)構想など、沖合への大規模人工島建設計画は議論が続いている(推定)。経済的必要性と環境・文化保護のバランスをめぐる議論は終わっていない。
今日ヴィクトリア港の夜景を眺めるとき、その海岸線が人工的に作られた歴史を持つことを知ると、少し違う景色に見えるかもしれない。
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