消えゆく路上屋台(小販)文化:香港が失いつつあるもの
かつて香港の路地を賑わせた屋台(小販、ハウカー)は、衛生規制・ライセンス縮小・後継者不足で急速に減っている。最後の世代の屋台師たちと、その文化が残る場所を探る。
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香港の昔の写真を見ると、路地に屋台が並び、食べ物を売る人と買う人で賑わっている。1960〜70年代の香港は、こういう場所だった。
今、その光景を見られる場所は限られている。
香港の小販(屋台)の歴史
路上の食物屋台(熟食小販)は、戦後の香港に大陸から流れてきた難民・低所得者が生計を立てる手段として発展した。政府は一定の衛生・安全基準を設けながらも、ライセンス(牌照、パイジウ)を発行して合法的に運営させていた。
最盛期には数万件の屋台ライセンスが存在したと言われる(推定)。
なぜ減ったか
1990年代以降、香港政府は屋台ライセンスの新規発行を停止(一部例外を除く)。既存のライセンスは継承可能(家族への引き継ぎ)だが、事業を続ける後継者がいない場合は自然消滅する。
現在残っている屋台ライセンス数は最盛期の数分の1レベルになっている(推定)。高齢化が進むオーナーが廃業するたびに数が減る。
残っている屋台を探して
廟街(テンプルストリート)
ナイトマーケットとして有名な廟街は、まだ夜の屋台・出店が残っている場所のひとつ。生牡蠣・炒め物・占い師が入り混じる油麻地の夜の風景は、旧来の香港に最も近い。
女人街(モンコック)
衣料品・雑貨の屋台が連なる。食べ物よりモノ売りが中心だが、路上のにぎわいは残る。
三聖墟(ラウファウシャン)
新界西部の三聖墟は「基尾碗魚(シェリー・ベイの魚)」の産地として知られる漁村地区。路上の鮮魚売りが今でも残っている。
失われゆく食の記憶
屋台の消滅は「食の記憶の消滅」でもある。あの角の「串焼き爺さん」の味は、彼が廃業すると同時に永遠に消える。レシピは残らない。手順も味も、体の記憶の中だけにある。
これは「進歩の副作用」として片付けられることが多い。でも何かが失われているのは確かだ。
文化の消滅は静かに起きる。看板が外れ、シャッターが下り、なんとなく気づかないうちに「あそこの屋台、なくなってたね」という話になる。残っている間に、一度食べに行く価値がある。