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文化・社会

「獅子山精神」というナラティブはいつ生まれ、誰が使うのか

1972年のテレビドラマに端を発した「獅子山精神」は、香港の集合的アイデンティティの象徴になった。しかし、同じ言葉が政府にも民主派にも使われる——その理由を、言葉と権力の関係から読み解く。

2026-04-08
獅子山精神香港アイデンティティ社会運動歴史

香港の獅子山という山は、標高495mの石灰岩の山塊で、九龍半島の北側に立つ。形がライオンに似ているというのが名前の由来だが、見る角度によっては単なる岩の塊にしか見えない。

この山が「香港の精神」の象徴になったのは、1972年から放送されたテレビドラマ「獅子山下(ライオン・ロック・スピリット)」がきっかけだった。香港公共放送(RTHK)が制作したこのドラマは、獅子山を見上げる九龍の労働者階級地区——黄大仙、慈雲山、王道——に暮らす人々の日常を描いた。

舞台は1945〜1951年の大陸からの難民流入後の香港だ。当時、香港の人口は60万人から200万人以上に膨れ上がった。難民たちは山の斜面のスラムに住み、飢えと疫病と低賃金の中で働いた。ドラマはその時代の「それでも生き抜く力」を描くことで、香港人固有のアイデンティティを言語化しようとした。

「精神」が政治に使われるまで

ドラマが始まった1972年から2002年まで、「獅子山精神」はあくまで文化的な概念だった。香港人の間に薄く広がるアイデンティティの感覚ではあったが、政治的に使われることはなかった。

転機は2002年だ。当時の財政司司長(財務大臣に相当)のアンソニー・レオンが、厳しい財政状況の中で市民に忍耐を呼びかける予算案演説で「獅子山精神」を引用した。逆境に屈しない香港人の力、という形で。

これが「獅子山精神」を政治言語に変換した最初の瞬間だと言える。政府側の人間が、市民の困苦を乗り越えるための動員言語として使ったのだ。

2014年以降——言葉が分岐する

2014年の雨傘運動(Umbrella Movement)で、獅子山は再び政治の表舞台に立った。民主派の活動家グループが夜中に獅子山の山頂付近に横断幕を掲げた。書かれていたのは「我要真普選」(私たちは本当の普通選挙を求める)。

これは意図的な奪還だった。長年「政府に耐えよ」という文脈で使われてきたナラティブを、「政府に抵抗せよ」という意味に読み替えた。

同じ山、同じ言葉なのに、意味が180度違う。

高齢世代にとって「獅子山精神」は、貧困を乗り越えた集団的記憶と経済成長への誇りだ。若い世代にとっては、不公正に抵抗する粘り強さだ。「獅子山下」のドラマを見て育った世代と、スマートフォンで横断幕の写真を見た世代では、同じ言葉が全く別のイメージを呼び起こす。

ナラティブの競争という構造

「獅子山精神」の分裂は、香港特有の現象ではない。歴史的に見ると、支配的な権力が民衆のアイデンティティ言語を取り込もうとするのは古典的なパターンだ。

日本の「勤勉さ」「おもてなし」という価値観も、時代によって「滅私奉公」の文脈で使われたり、観光立国の文脈で使われたりする。言葉は動く。誰が、どのタイミングで、どんな目的で使うかによって、意味は変質する。

学術的にはこれを「ヘゲモニー的ナラティブの競合」と呼ぶ。支配層が既存の文化的シンボルを自分たちの正当性に活用しようとし、反体制側が同じシンボルを抵抗の象徴として奪還しようとする。

2020年以降の沈黙

2019〜2020年の逃亡犯条例反対運動(Anti-ELAB Movement)で、獅子山への横断幕掲揚は再度行われた。しかしその後、2020年6月の国家安全維持法(国安法)の施行以降、香港では政治的な表現行為に対する制限が強まった。

「獅子山精神」という言葉は依然として使われるが、公の場での文脈は変化している。2023〜24年の香港政府の公式文書では、「強靭さ」「経済再生」の文脈でこの言葉が使われている。

在住者が知っておくべきこと

香港に住む、あるいは訪れる日本人が「獅子山精神」という言葉を聞いたとき、それが政府側から発せられているのか、市民側から発せられているのかで、意味が全く変わる。

2026年現在の香港では、その言葉がどの文脈で使われているかを意識することが、この都市を理解する手がかりになる。

獅子山は今日も九龍の空に変わらず立っている。山は何も語らないが、その山に向けられる人々の視線の中に、50年にわたる香港の歴史が凝縮されている。

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