香港の奶茶がパンストで濾される理由は、効率の産物だ
香港式ミルクティー(絲襪奶茶)は布製フィルターで何度も濾すことで滑らかな口当たりを実現する。パンストに似た布の先に、チャチャンテンの経済学がある。
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香港のチャチャンテン(茶餐廳)でミルクティーを頼むと、紅茶にエバミルク(無糖練乳)を加えた濃厚な飲み物が出てくる。これが「港式奶茶」で、1日に推定250万杯が消費されている(香港コーヒー紅茶協会の推計)。人口750万人の街で、3人に1人が毎日1杯飲んでいる計算だ。
絲襪奶茶の名前の由来
港式奶茶の正式名称は「絲襪奶茶(シーマッナイチャー)」。直訳すると「パンストミルクティー」。名前の由来は、紅茶を濾すために使う布製フィルターの形がパンストに似ているからだ。
実際にパンストを使っているわけではない。使うのは綿布を袋状に縫った専用フィルターで、新品は白いが、紅茶で染まって茶色くなる。使い込むとパンストのような色と質感になるため、この名前がついた。
2014年、港式奶茶の淹れ方は香港政府の「非物質文化遺産(無形文化遺産)」に登録された。パンストフィルターで紅茶を淹れる技術が、文化遺産として公式に認定されている。
「撞茶」: 7回注ぐ
港式奶茶の淹れ方は「撞茶(ゾンチャー)」と呼ばれる。
- 数種類のセイロン紅茶葉をブレンドする(ブレンド比率は店の秘伝)
- 大きなやかんで煮出す
- 布製フィルターを通して別の容器に注ぐ
- 注いだ紅茶を再びフィルターに戻し、もう一度濾す
- これを5〜7回繰り返す
何度も濾すことで、紅茶のタンニンの渋みが減り、口当たりが滑らかになる。同時に紅茶のコク(ボディ)は保たれる。この「渋みを消してコクを残す」のが撞茶の技術だ。
最後にエバミルク(淡奶)を加える。砂糖は客の好みで入れるが、デフォルトは「普通に甘い」。「少糖」「走糖(砂糖なし)」と注文できる。
なぜエバミルクなのか
香港のミルクティーが牛乳ではなくエバミルク(無糖練乳)を使う理由は、歴史的には保存性だ。
1950年代の香港では冷蔵設備が普及しておらず、牛乳は日持ちしなかった。エバミルクは缶詰で常温保存でき、開封後も牛乳より長持ちする。チャチャンテンのような高回転の飲食店には、保存性が重要だった。
冷蔵庫が普及した現在も、エバミルクが使われ続けているのは味の問題だ。牛乳で作った紅茶と、エバミルクで作った紅茶は全く別の飲み物になる。エバミルクのほうが濃厚でクリーミーな口当たりになる。
HKD 22の経済学
チャチャンテンでの奶茶の価格はHKD 20〜28(約400〜560円)程度。スターバックスのラテがHKD 40〜50(約800〜1,000円)であることを考えると、約半額だ。
チャチャンテンが奶茶をこの価格で提供できる理由は、原価構造にある。
- 紅茶葉: 1杯あたりの原価はHKD 1〜2。大量仕入れのセイロン紅茶を使う
- エバミルク: 1杯あたりHKD 1〜2。缶詰の無糖練乳
- 砂糖: HKD 0.5以下
- 原価合計: HKD 3〜5程度
原価率は約15〜20%。飲食業の標準的な原価率(30〜35%)と比べて低い。だが、チャチャンテンは席数が少なく回転率で勝負する業態なので、低原価×高回転で利益を確保している。
凍奶茶の罠
香港で「凍奶茶(アイスミルクティー)」を注文すると、熱奶茶よりHKD 2〜4高い。氷を入れるだけなのに追加料金がかかる。
理由はシンプルで、冷やすことでコストが増えるのではなく、「冷たい飲み物は贅沢品」という旧来の認識が価格に残っているからだ。1960年代〜70年代、製氷が高コストだった時代に凍飲は割増価格だった。その価格差が2020年代の今もメニューに残っている。
チャチャンテンの未来
香港のチャチャンテンは、家賃の高騰と後継者不足で減少傾向にある。食物環境衛生署の統計では、茶餐廳の営業許可数は2010年代のピークから10%以上減少したとされる。
一方で、「港式奶茶」を看板にしたチェーン店や、海外展開するブランドも出てきている。台湾のタピオカミルクティーが世界に広がったように、港式奶茶もアジアの主要都市に進出しつつある。
ただ、撞茶の技術は機械化が難しい。紅茶を布フィルターに注ぐ高さ、注ぐ速度、回数——この微妙な調整が味を決める。チェーン店では「似たもの」は作れるが、カウンターの向こうで職人が腕を振って淹れる奶茶とは違うものになる。
香港に住んだら、まず近所のチャチャンテンで奶茶を頼んでみる。HKD 22で、その店の腕前が分かる。