バハサ・インドネシアが国を統一した——母語を「捨てた」民族の戦略
インドネシアでは政治家も学者もテレビも、バハサ・インドネシア(国語)で話す。多くの人にとってそれは母語ではない。なぜ人々は母語ではなく「第二言語」で国を運営することに合意したのか。
この記事の日本円換算は、1万IDR≒96円で計算しています(2026年5月時点)。為替は変動するので、現地通貨の金額を基準にしてください。
日本語を話す人口は日本人のほぼ全員だ。日本語は母語であり国語であり、分離できない。
インドネシアはそうではない。インドネシア人の母語はジャワ語かもしれないし、スンダ語かもしれないし、バタック語かもしれない。国語のバハサ・インドネシアは、多くの人にとって家庭では使わない「公式言語」だ。
人工的な国語の誕生
バハサ・インドネシアは「作られた国語」だ。オランダ植民地時代に東南アジア各地で通商語として使われていたマレー語をベースに、独立後に標準化・普及が進められた。
1928年の「青年の誓い(Sumpah Pemuda)」でインドネシア語が国民の言語として宣言され、1945年の独立宣言後に憲法で国語と定められた。
なぜジャワ語が選ばれなかったか
インドネシアで最も話者が多い民族語はジャワ語だ(ジャワ人は総人口の約40%)。それでもジャワ語は国語にならなかった。
理由は政治的な知恵だ。ジャワ語を国語にすれば、「ジャワ人の国」というメッセージになる。非ジャワ民族の支持を失い、国家統合が難しくなる。ジャワ人自身も含めた独立運動指導者たちが、「中立」なマレー語系の言語を選んだのだ。
これは国家形成の知恵として、多くの多民族国家にとって参考になる事例だと語られることがある。
言語の簡略性が普及を助けた
バハサ・インドネシアが急速に普及した理由の一つは、文法の比較的な単純さだ。動詞の時制変化がなく、性の区別もない。方言差も少ない(書き言葉ベースで標準化されたため)。
就学率向上とテレビの普及が言語の均質化を進めた。現在のインドネシアでは都市部の若者の多くが「インドネシア語ネイティブ」に近い状態になっており、ジャワ語やスンダ語を流暢に話せない人も増えている。
「民族語が消える」という危機感
その一方で、少数民族語の消滅が加速している。460以上の言語のうち、話者数が1000人未満の言語も多い。次世代に伝わらず、消えていく言語がある。
ユネスコの絶滅危機言語リストにはインドネシアの多数の言語が含まれる。「国家統合に成功した代価として民族文化が均質化される」という議論は、インドネシアの言語学者や文化活動家の間で続いている。
バハサ・インドネシアはインドネシアという国の「奇跡」の一部だ。多様な民族が合意した共通のコードが、国をまとめている。ただそのコードを守ることが、別の何かを少しずつ消していることも確かだ。