Kaigaijin
海外在住日本人のメディア
文化・社会

ベチャの消滅——インドネシアの三輪自転車タクシーはなぜ消えるのか

ジャカルタでは1990年代に禁止されたベチャ(人力三輪車)。地方都市ではまだ走り続けています。近代化と伝統的交通手段の衝突が映し出すインドネシアの都市問題を追います。

2026-05-13
ベチャ交通都市化

この記事の日本円換算は、10,000IDR≒95円で計算しています(2026年4月時点)。為替は変動するので、現地通貨(IDR)の金額を基準にしてください。

ジャカルタの路上からベチャ(Becak)が姿を消してから30年以上が経ちます。1990年代にスハルト政権下で「近代都市にふさわしくない交通手段」として禁止されました。当時、数万台のベチャが没収されて海に投棄された——この光景はインドネシアの近代化の暴力性を象徴するエピソードとして語り継がれています。

ベチャとは

ベチャはインドネシア独自の三輪自転車タクシーです。前方に乗客席があり、後方で運転手がペダルを漕ぐ設計(ジャワ式)と、横にサイドカーが付く設計(スマトラ式)の2種類があります。

19世紀後半に中国から持ち込まれたとされ、20世紀を通じてインドネシアの主要な近距離交通手段でした。エンジンを持たず、排気ガスを出さず、狭い路地にも入れる。低所得層にとっては雇用の場であり、住民にとっては日常の足でした。

ジャカルタからの追放

1970年代からジャカルタ市政府はベチャの規制を段階的に強化しました。1980年代には幹線道路での運行が禁止され、1992年にはジャカルタ全域で完全禁止となりました。

禁止の理由として掲げられたのは以下です。

  • 交通渋滞の原因になる
  • 「後進的」なイメージが国際都市としての評価を下げる
  • 運転手の健康問題(過酷な肉体労働)
  • 交通事故のリスク

しかし批判者は、禁止の本質は「貧困を隠すこと」だったと指摘します。ベチャ運転手の多くは農村からジャカルタに流入した日雇い労働者で、彼らの存在が「近代的な首都」のイメージと合わなかった。ベチャを禁止しても彼らの貧困は解決しません。見えなくしただけです。

地方で走り続けるベチャ

ジャカルタでは禁止されましたが、ジョグジャカルタ、ソロ、スラバヤの一部地区、メダン、マカッサルでは、ベチャは今も現役の交通手段です。

ジョグジャカルタのマリオボロ通り(Jalan Malioboro)では、観光客向けのベチャが並んでいます。料金は交渉制で、短距離で20,000〜50,000 IDR(約190〜475円)程度。事前に料金を合意してから乗るのがトラブル防止の基本です。

地方都市の住宅地では、狭い路地の中をベチャが走り続けています。バイクタクシー(Ojek)やGojek / Grabが台頭する中でも、高齢者や荷物の多い買い物帰りの住民にとって、ベチャの需要は残っています。

ベチャ運転手の経済状況

ベチャ運転手の収入は1日50,000〜150,000 IDR(約475〜1,425円)程度とされています(地域と稼働時間による)。ベチャ自体は自分で所有するか、オーナーから1日10,000〜30,000 IDR(約95〜285円)で借りるレンタル方式が一般的です。

多くの運転手は農村出身で、稲作の閑散期に都市部に出てきてベチャを漕ぎ、稲作シーズンには村に帰る——このパターンはインドネシアの都市と農村の循環的な人口移動の一部です。

電動ベチャの可能性

近年、一部の都市で電動ベチャ(Becak Listrik)の実験が行われています。ペダルの代わりに電動モーターを搭載し、運転手の肉体的負担を軽減しつつ、排気ガスゼロの交通手段として再定義する試みです。

ジョグジャカルタでは2023年から電動ベチャの試験運行が始まっています。充電インフラや初期費用の課題はありますが、「伝統的な乗り物を現代に適応させる」という方向性は、ベチャの完全消滅を防ぐ可能性を持っています。

見えなくなるものと残るもの

ベチャの歴史は、「近代化とは何かを捨てることである」というテーマを突きつけます。ジャカルタはベチャを追い出してMRT(地下鉄)を建設しました。利便性は向上しました。でもベチャ運転手だった人々はどこに行ったのか。

ジョグジャカルタの路地裏で、まだペダルを漕いでいるベチャ運転手を見ると、インドネシアの近代化が全ての人を同じ速度で運んでいるわけではないことが見えてきます。

コメント

読み込み中...