Kaigaijin
海外在住日本人のメディア
文化・社会

カンプンの論理——ジャカルタの超高層ビルの足元にある村

ジャカルタの高層オフィスビルの裏に、トタン屋根のカンプン(都市内集落)が広がっています。スラムではなく「村」として機能するこの空間が、インドネシアの都市のもう一つの顔です。

2026-05-13
カンプンジャカルタ都市構造

この記事の日本円換算は、10,000IDR≒95円で計算しています(2026年4月時点)。為替は変動するので、現地通貨(IDR)の金額を基準にしてください。

ジャカルタのスディルマン通り(Jalan Sudirman)。ガラス張りの超高層ビルが立ち並ぶこの通りから100mも入ると、路地幅1mのトタン屋根の集落が現れます。洗濯物が頭上を横切り、子どもが路地で遊び、屋台からナシゴレンの匂いが漂う。カンプン(Kampung)です。

外から見ると「スラム」に見えるかもしれません。しかしカンプンはスラムではありません。

カンプンとは何か

カンプンはインドネシア語で「村」を意味します。農村部では文字通りの村を指しますが、ジャカルタ等の都市部では「都市内の伝統的集落」を意味します。

都市カンプンの特徴は以下です。

  • 路地が狭く(1〜2m幅)、車が入れない
  • 住居が密集している
  • 住民同士の関係が近い(隣人の名前を全員知っている)
  • 独自のRT/RW(隣組・町内会に相当する行政単位)が機能している
  • 共同の水場や共同トイレが存在する場合がある

カンプンの住民は、日雇い労働者だけではありません。公務員、教師、中小企業の経営者も住んでいます。「低所得者の居住区」という理解は正確ではなく、「伝統的な居住形態を維持している地域」と捉える方が実態に近い。

カンプンが存在し続ける理由

ジャカルタの地価は上昇を続けており、カンプンが占める土地はデベロッパーにとって魅力的な開発用地です。それでもカンプンが消えない理由はいくつかあります。

土地の権利関係: カンプンの土地所有権は複雑で、正式な権利証(Sertifikat Hak Milik)を持つ住民もいれば、慣習的な占有(Girik)に基づく居住権しか持たない住民もいます。権利関係の整理に時間がかかるため、大規模開発が進みにくい。

コミュニティの抵抗: 2015年〜2016年、ジャカルタのアホック(Ahok)知事時代に、カンプンの強制立ち退き(Penggusuran)が大規模に行われ、大きな社会問題になりました。その後、住民の権利保護の声が強まり、安易な立ち退きは政治的リスクが高くなっています。

生活インフラとしての機能: カンプンの屋台(ワルン)は、近隣の高層ビルで働くオフィスワーカーの昼食を担っています。ナシゴレン1皿15,000 IDR(約142円)の屋台は、オフィスビルのフードコート(1食50,000 IDR以上)の代替として機能している。カンプンは都市の安価な食事インフラです。

カンプン改善プログラム

インドネシア政府は1960年代から「Kampung Improvement Program(KIP)」として、カンプンのインフラ整備を行ってきました。道路の舗装、排水溝の整備、共同トイレの設置等が含まれます。世界銀行も資金を提供し、国際的にも「都市貧困層の居住改善モデル」として評価されたプログラムです。

近年は「Kampung Kreatif(クリエイティブ・カンプン)」として、壁画アートや観光資源化の取り組みも進んでいます。ジャカルタのカンプン・ペランギ(Kampung Pelangi / 虹の村)は、住居の外壁をカラフルに塗り直すことで観光名所になった成功例です。

日本人在住者のカンプン体験

ジャカルタの日本人駐在員の多くは、南ジャカルタのクマン(Kemang)、クバヨランバル(Kebayoran Baru)、中央ジャカルタのスディルマン周辺のアパートメント(高層マンション)に住んでいます。エアコン完備、プール付き、セキュリティゲート付き——カンプンの生活環境とは対極です。

しかし、アパートメントの敷地を出て角を曲がると、カンプンの路地に入ることがあります。この「50mの距離に存在する別世界」がジャカルタの都市構造の本質です。

カンプンの路地を歩くと、「Mau kemana?(どこへ行くの?)」と声をかけられます。これは監視ではなく挨拶です。カンプンでは見知らぬ人が通ることが珍しいため、好奇心と親切心から声をかけてくる。

高層ビルとカンプンの共存は、インドネシアの都市が「近代化」と「伝統」を二項対立としてではなく、物理的に隣り合わせに配置している状態です。どちらかがどちらかを飲み込むのではなく、折り合いをつけながら共存する——この感覚は、インドネシアの多くの局面に共通する態度でもあります。

コメント

読み込み中...