プサントレン——インドネシアの3万校のイスラム寄宿学校が担う役割
インドネシア全土に約3万校あるイスラム寄宿学校「プサントレン」。宗教教育だけでなく、社会のセーフティネットとして機能するその実態を解説します。
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インドネシアの人口約2億8,000万人のうち、約87%がイスラム教徒です。世界最大のムスリム人口を抱える国。しかし、この国のイスラム教育を支える仕組みは、中東のそれとは全く異なります。
その中心にあるのが「プサントレン(Pesantren)」——イスラム寄宿学校です。
数字で見るプサントレン
インドネシア宗教省のデータ(2023年)によると、全国のプサントレンは約30,000校。在籍する生徒(サントリ)は約400万人。日本の全大学生数が約290万人であることを考えると、その規模の大きさがわかります。
プサントレンの約95%は私立で、国の管轄ではなく各校の指導者「キアイ(Kiai)」が独立して運営しています。国家の教育システムと並行して、もうひとつの巨大な教育ネットワークが存在している状態です。
貧困層のセーフティネット
プサントレンの多くは、学費が極めて安い——あるいは無料です。地方の貧困家庭が子どもに教育を受けさせる唯一の手段として機能してきました。
寮費・食費込みで月100,000〜500,000IDR(約950〜4,750円)程度の学校が多く、富裕層が通う私立学校の学費(月2,000,000〜10,000,000IDR、約19,000〜95,000円)とは桁が違います。この価格差が、プサントレンが社会のセーフティネットとして維持されている理由です。
コーランと数学を両方教える
伝統的なプサントレンでは、コーラン暗唱、アラビア語、イスラム法学(フィクフ)が中心でした。しかし現在は、多くの学校が「近代的プサントレン」に移行しています。
近代的プサントレンでは、一般科目(数学、理科、英語、インドネシア語)とイスラム教育を組み合わせたカリキュラムを提供します。卒業すると国の正規の学歴として認められ、大学進学も可能です。
最も有名なのは東ジャワのゴントール・プサントレン(Pondok Modern Darussalam Gontor)。1926年創立で、インドネシアの政治家・知識人を多数輩出しています。アラビア語と英語の両方を必修とし、生徒は寮生活の中で24時間どちらかの言語で会話することが求められます。
穏健イスラムの「砦」
インドネシアのイスラムが中東と比べて穏健だと言われる背景のひとつに、プサントレンの存在があります。多くのプサントレンは、ジャワの伝統文化とイスラムを融合させたナフダトゥル・ウラマー(NU)という組織と関係が深い。NUの会員数は約9,000万人とされ、世界最大のイスラム団体です。
プサントレンで教えられるイスラムは、地域の習慣(アダット)を尊重し、異なる宗教との共存を前提とするものが主流です。もちろん全てのプサントレンが穏健というわけではなく、保守的な学校も存在しますが、全体としてはインドネシアの多元主義を下支えする装置になっています。
在住日本人にとってのプサントレン
ジャカルタやバリで暮らしていると、プサントレンとの接点はほとんどありません。しかし、インドネシア人の同僚やドライバーに「どこの学校を出たか」と聞くと、「プサントレン」と答える人は少なくない。
プサントレン出身者は、規律正しさや礼儀の良さで評価されることが多いと言われます。寮生活で培われた集団行動の能力が、職場でも発揮されるという見方です。
この国の「穏健さ」や「多様性への寛容さ」は、自然に生まれたものではなく、3万校の寄宿学校で何百万人もの若者が受けている教育の結果として維持されている——そう考えると、プサントレンはインドネシア社会を理解するための隠れた鍵です。