プレマン——インドネシアの「非公式な秩序」を担う人々
インドネシアの街角で駐車場の誘導をし、市場で場所代を徴収する「プレマン」。ヤクザとも違う、この国独特の非公式な秩序のかたちを考えます。
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ジャカルタで車を路上に停めると、どこからともなく蛍光ベストの男がやってきて誘導してくれます。出発するときには2,000〜5,000IDR(約19〜48円)を渡す。彼は市の職員ではありません。誰に雇われているわけでもない。
これが「プレマン(Preman)」と呼ばれる人々の最も身近な姿です。
「フリーマン」から来た言葉
プレマンの語源は、オランダ語の「vrij man(自由な人)」とされています。植民地時代、正規の軍や組織に属さない非公式な力を持った人々を指しました。
現在のプレマンは、特定の地域や市場で非公式に「秩序」を提供する人々です。駐車場の整理、市場の場所割り、建設現場のセキュリティ。公的なサービスが行き届かない場所で、プレマンが実質的な管理者として機能しています。
非公式経済の歯車
インドネシアの労働力の約58%が非公式セクター(インフォーマル経済)で働いているとされています(ILO, 2023年推計)。路上の物売り、バイクタクシー、屋台の食堂——こうした人々が商売を始めるとき、最初に話をつけるのが、その場所を「仕切っている」プレマンです。
たとえば、ジャカルタの路上に屋台を出す場合、プレマンに日額5,000〜20,000IDR(約48〜190円)の場所代を払うのが一般的です。市の許可とは別次元の話で、許可があってもプレマンへの支払いを怠ると「問題」が起きることがあります。
これはみかじめ料に近いですが、単純な搾取とも言い切れない。プレマンはその見返りとして、他の屋台との場所の競合を調整し、トラブルがあれば仲裁し、時には警察との間に入ることもあります。
スハルト時代の「活用」
プレマンの存在が特異なのは、国家がこれを「利用してきた」歴史があるためです。スハルト政権(1966〜1998年)は、プレマンを治安維持の非公式な手駒として活用しました。デモの抑圧、選挙時の動員、反対勢力への圧力。
1983〜85年にかけて実施された「ペトルス(Petrus: Penembakan Misterius = 謎の射殺)」作戦では、犯罪者やプレマンとされる人々が超法規的に処刑されました。スハルト自身が後に関与を認めています。国家がプレマンを育て、そして間引いた——この矛盾が、インドネシアの「非公式な秩序」の複雑さを物語っています。
現在のプレマン
民主化後、プレマンの立場は変化しました。以前ほどの暴力的な支配力は薄れ、とりわけジャカルタでは都市再開発やGojek等のテクノロジー企業の進出によって、プレマンの「市場」が縮小しています。
しかし消えてはいません。地方都市や市場、バスターミナル周辺では依然としてプレマンが機能しています。在住日本人がプレマンと直接対立することはまれですが、駐車場で誘導してくれる人への数千ルピアの支払いは、日常の一部です。
「払わなくていいのでは?」と思うかもしれませんが、インドネシアの同僚に聞けばたいてい「払っておいた方がいい」と言われます。それが車に傷がつかない「保険」だと。
公的なサービスと非公式な秩序が共存する社会。日本の感覚では理解しにくいですが、この二重構造がインドネシアの街を動かしているひとつの現実です。