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香辛料諸島の歴史——マルク・バンダ諸島と植民地時代の遺産

かつて「スパイス・アイランズ」として世界の覇権争いを引き起こしたマルク諸島。その歴史と今をインドネシア在住者の視点で整理する。

2026-04-28
インドネシアマルク香辛料植民地歴史

ジャカルタのスーパーでナツメグ(パラ)を手に取ったとき、その小さな実のために17世紀のヨーロッパ列強が戦争をしたという話はあまり想像しにくい。インドネシアのマルク州に浮かぶバンダ諸島はかつて世界唯一のナツメグ産地だった。

スパイスが世界を動かした時代

15〜17世紀、ナツメグ・クローブ・コショウはヨーロッパで金と同等かそれ以上の価値を持っていた。理由は単純で、長期保存・防腐・薬用・香り付けに欠かせない調味料でありながら、アジア以外では生産できなかったからだ。

ポルトガルが16世紀初頭にインド洋ルートでマルク諸島に到達し、スパイス貿易を支配した。その後オランダが17世紀に入り込み、VOC(オランダ東インド会社)がバンダ諸島を武力制圧した(1621年)。バンダ諸島の先住民(バンダ人)は虐殺・奴隷化され、推定1万5,000人の人口が数百人規模に激減したとされる。

オランダはバンダ諸島のナツメグ農園を「パーケン(Perk)」と呼ばれる封建的な農場制度で管理し、プランター(農園主)に分配した。クローブはアンボン(現在のアンボン市)周辺でやはりオランダが独占管理した。

バンダ諸島と現在のインドネシア

バンダ諸島はマルク州(Maluku)の南マルク諸島に属する小さな島々で、バンダ・ネイラ(Banda Neira)が中心島だ。人口は現在約15,000〜20,000人程度(推定)。

スパイス市場が世界的に生産地が分散してからは、バンダ諸島は辺境の農業地帯になった。現在もナツメグとメース(ナツメグの外皮)の生産が続いており、バンダ産のナツメグは品質が高いとされる。

アクセス
アンボン(Ambon)から飛行機で約40分(Malindo Air・Wings Air等が就航)、またはアンボンから高速船で約4〜6時間。アンボンへはジャカルタから約3時間のフライト。

観光インフラはまだ整備途上で、ダイビング・歴史遺産(オランダ時代の要塞「Fort Belgica」等)・ナツメグ農園訪問を目的とするエコツーリズム客が訪れる。

アンボン——音楽と多宗教の島

マルク州の州都アンボン(Ambon)は人口約36万人(2020年国勢調査)。クリスチャンとムスリムが混在する都市で、20世紀末には宗教紛争(1999〜2002年)が発生した。現在は復興し、比較的安定した状態が続いているが、宗教・民族間の緊張が完全に解消されたわけではない。

アンボン人は音楽的な才能があることで知られており、「インドネシアの音楽の都」とも呼ばれる。ギターを弾くアンボン人ミュージシャンは全国的に活躍していることが多い。

インドネシア在住者として知っておく価値

マルク諸島の歴史はオランダ植民地支配の最も暗い側面の一つであり、インドネシアの独立(1945年)に至る歴史的文脈に直結している。

インドネシア人の同僚・友人と植民地時代の話が出たとき、バンダ諸島の名前を出せると会話の深さが変わる。「ナツメグのために虐殺があった」という事実は、スーパーの香辛料売り場で思い出すたびに歴史の解像度が上がる体験をくれる。

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