フィレンツェのカルチョ・ストリコ|ルネサンスの街に残る「世界で最も暴力的なスポーツ」
フィレンツェで毎年6月に開催されるカルチョ・ストリコの歴史、ルール、社会的意味を解説。なぜ21世紀の世界遺産都市でこの祭りが存続するのか。
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毎年6月、フィレンツェのサンタ・クローチェ広場に砂が敷き詰められ、27人対27人が殴り合いながらボールをゴールに運ぶ競技が行われます。カルチョ・ストリコ(Calcio Storico)。サッカー、ラグビー、レスリング、ボクシングを混ぜたような競技で、頭突きと肘打ち以外のほぼすべての格闘技法が許可されています。
16世紀から続く暴力の伝統
カルチョ・ストリコの起源は16世紀のフィレンツェ。メディチ家の時代に貴族の若者たちが戦争の代替として始めたとされています。1530年、神聖ローマ帝国軍がフィレンツェを包囲していた最中にも試合が行われたという記録があり、「敵に屈しない」象徴としての意味も持っていました。
一時は廃れましたが、1930年にムッソリーニ政権下で復活。現在はフィレンツェの4地区(サンタ・クローチェ/赤、サンタ・マリア・ノヴェッラ/青、サント・スピリト/白、サン・ジョヴァンニ/緑)が対抗して3試合を戦います。
ルール(あってないようなもの)
各チーム27人。前衛・中衛・後衛に分かれ、ボールを相手陣地のゴール(幅約50m)に入れると1点。試合時間は50分。
格闘は1対1に限定され、背後からの攻撃と頭部への蹴りは禁止。しかし実際には集団での乱闘が頻発し、骨折や脱臼は珍しくありません。審判はいますが、介入はごく限定的。「暴力を管理する」のではなく、「暴力の枠を設ける」という思想に近い。
参加者は一般市民
選手はプロではありません。フィレンツェの各地区に住む一般市民(18〜40歳の男性)で、格闘技経験者やラグビー選手が多いですが、普段は配管工、弁護士、教師などの職業に就いています。
参加は名誉であり、地区の代表として選ばれることは家族にとっても誇りです。報酬はキアニーナ牛のビステッカ(Tボーンステーキ)。勝利チームの選手全員に、フィレンツェ最高のビステッカが振る舞われます。
なぜ続いているのか
毎年のように「暴力的すぎる」という批判が出ますが、廃止の気配はありません。理由は、この祭りがフィレンツェの地区アイデンティティの核だからです。
フィレンツェは世界遺産の美しい街ですが、住民にとっては4つの地区に分かれた「村の集まり」でもあります。カルチョ・ストリコは、その地区意識を年に1回爆発させる安全弁として機能している。
観光客には「野蛮」に見えるかもしれません。しかしフィレンツェの人々にとって、この祭りはウフィツィ美術館やドゥオーモと同じくらい、自分たちのアイデンティティの一部です。ルネサンスの街が生んだのは、芸術と暴力の両方でした。どちらも「人間のエネルギーを形にする」という点では、同じ衝動の表と裏なのかもしれません。