Kaigaijin
海外在住日本人のメディア
文化・社会構造の分析

同じ国に二つの法がある——マレーシアの司法が「二階建て」になっている構造

マレーシアには英国由来の一般法とシャリア法が並立し、適用される人が宗教で分かれる。この二重構造がどう運用され、在住外国人にどう関係するかを読み解く。

2026-09-21
法制度シャリア宗教司法マレーシア

この記事の日本円換算は、1MYR≒39円で計算しています(2026年6月時点)。為替は変動するので、現地通貨(MYR)の金額を基準にしてください。

同じ国の中で、隣に住んでいる人と自分に、別の法律が適用されている。マレーシアではそれが日常です。

この国の司法制度は、英国由来のコモンローを基礎とする一般の裁判所と、ムスリムに適用されるシャリア裁判所(Mahkamah Syariah)の二つの系統を持っています。どちらが適用されるかは、原則としてその人がムスリムかどうかで決まります。

何が分かれていて、何が分かれていないのか

まず誤解を解いておくと、刑事事件の大半や、商取引、契約、会社法といった領域は、宗教に関係なく一般の法体系が扱います。ビジネスをする外国人が接するのは、基本的にこちら側です。

シャリア裁判所が扱うのは、主に家族法と個人の身分に関する事項です。ムスリム同士の婚姻、離婚、相続、養育、そしてイスラムの教えに関わる事柄。管轄は連邦ではなく各州にあり、州ごとに条例の内容や運用に差があります。

つまり「二階建て」というより、一階の一部に別の部屋が仕切られている、と言ったほうが実態に近いかもしれません。

境界線が問題になる場所

この構造が難しくなるのは、二つの体系にまたがる事案が出たときです。

たとえば、夫婦の一方が結婚後にイスラム教に改宗した場合。婚姻自体は一般法のもとで成立しているのに、一方の当事者はシャリアの管轄に入る。子どもの養育権や、財産の分割を、どちらの裁判所が決めるのか。こうした事案は実際に争われ、社会的な議論を呼んできました。

改宗をめぐる問題も同様です。マレーシアでは、ムスリムからの改宗は制度上きわめて難しく、この点は国内でも継続的に議論されているテーマです。

在住外国人がこうした事案の当事者になることは多くありませんが、可能性がゼロではない場面はあります。マレーシア人と結婚する場合です。相手がムスリムであれば、婚姻はイスラム法の枠組みで扱われ、外国人側にも改宗が求められるのが一般的です。これは人生の設計に直結する話なので、当事者になり得る立場なら、早い段階で専門家に相談する価値があります。

法の起源をたどると

なぜこんな構造になったのか。歴史をたどると、二つの層の由来が見えてきます。

イスラム法は、マラッカ王国の時代から地域の統治に組み込まれていました。それ以前からある慣習法(adat)とも混ざりながら、社会の秩序を形づくってきた。

そこに英国の植民地統治が重なります。英国は商業と刑事の領域に自分たちの法を持ち込む一方、宗教と慣習に関わる領域には原則として手を出しませんでした。統治コストを下げるための実務的な判断だったと考えられます。

結果として、経済と刑事は英国式、家族と宗教は在地の法、という分業が固定されました。独立後、この分業がそのまま憲法構造として引き継がれた。今日の二重構造は、意図して設計されたというより、統治の歴史がそのまま地層になったものです。

州によって違う、という追加の複雑さ

シャリアに関する立法権が州にあるため、規定の内容は州ごとに異なります。ある州で条例化されている事柄が、隣の州では違う扱いになっていることがある。

さらに、連邦直轄領(クアラルンプールなど)は連邦政府の管轄下にあり、また別の枠組みで運用されます。同じ国の中に、家族法に関して十数通りの体系が並んでいるとも言えます。

この州単位の権限は、家族法だけの話ではありません。酒類の販売規制も州によって扱いが違い、ノンハラルの店や食材がどこに置かれているかの分布に直接影響します。そしてボルネオ側のサラワクとサバは入境管理の権限まで持っている。連邦と州の権限配分は、生活のあちこちで具体的な形をとって現れます。

これは行政の非効率にも見えますが、多様な地域を一つの連邦にまとめるための代償でもあります。中央が全部を統一しようとすれば、まとまらなかった可能性が高い。同じ問題を国家元首の座を輪番にすることで解いたのと、発想としては地続きです。

外国人が実際に接する場面

日常生活で在住外国人がシャリア裁判所に関わることは、まずありません。契約も、賃貸も、交通違反も、労働紛争も、一般の法体系の中で処理されます。

ただ、この構造を知っていると、この国のニュースの読み方が変わります。ある事件がなぜ長期化しているのか、なぜ管轄をめぐる議論が起きるのか、なぜ政治家が発言に慎重になるのか。背景にあるのは、たいていこの二重構造です。

そして、その事件がどう報じられるかも一様ではありません。マレー語、英語、中国語、タミル語の新聞が並立しているこの国では、管轄をめぐる同じ判決が、媒体によって別の文脈に置かれます。英語紙だけを読んで「マレーシアではこう受け止められている」と要約すると、たいてい何かを取りこぼします。

そして、宗教が個人の生活に法的な効力を持つという感覚は、日本で育つとほとんど経験しません。マレーシアで暮らすと、それが制度として日々動いている場所に自分がいることに気づきます。

一つの国の中の複数の時間

法制度というのは、社会が過去に下した判断が固まって残ったものです。マレーシアの司法は、マラッカの時代と、英国統治の時代と、独立後の連邦形成の判断が、そのまま重なって現在も動いている。

どれかを消して一本化すれば、たしかにすっきりします。ただ、すっきりさせようとした瞬間に何が壊れるかを、この国は歴史のなかで何度も計算してきたようにも見えます。

隣人と自分に別の法律が適用されていることを不思議と思わずに暮らせるのは、それ自体がひとつの成熟なのかもしれません。

コメント

読み込み中...