マレーシア人が1文の中で3言語を使う理由——コードスイッチングの認知科学
マレーシア人の日常会話では、マレー語・英語・中国語が1文の中で切り替わる。これは言語能力の低さではなく、多言語話者の脳が効率的に情報処理した結果だ。
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KLのオフィスでマレーシア人同士の会話を聞いていると、耳がバグる。「That meeting tadi(さっきの), boss cakap(言った)we need to submit by Friday lah」。英語・マレー語・英語・マレー語・英語が1文の中で切り替わっている。これを言語学ではコードスイッチングと呼ぶ。
「英語が下手だから混ぜる」は間違い
よくある誤解は、マレーシア人が英語力の不足を他の言語で補っているという見方だ。しかし研究は逆を示している。コードスイッチングは多言語に堪能な人ほど頻繁に行う。2つ以上の言語体系を脳内に持っている人が、文脈に応じて最も効率的な単語を選んだ結果がコードスイッチングだ。
例えば「tadi」はマレー語で「さっき」を意味するが、英語の「just now」より1音節で短い。脳は処理速度を優先して短い方を選ぶ。「cakap」は「言った」だが、マレー語のcakapには「話した・伝えた・言及した」のニュアンスが含まれており、英語のsaidよりも情報量が多い。
3言語の使い分けパターン
マレーシアの中華系が最も複雑なコードスイッチングを行う。彼らは典型的に4言語(英語・マレー語・マンダリン・広東語または福建語)を持っており、場面に応じて切り替える。
| 場面 | 使用言語 |
|---|---|
| 公式な会議 | 英語(単一言語) |
| 同僚との雑談 | 英語+マレー語 |
| 家族との電話 | マンダリン+広東語 |
| ママック屋台での注文 | マレー語+英語 |
| SNSの投稿 | 英語+マレー語+絵文字 |
切り替えは無意識に行われる。話し相手の民族、場の公式度、話題の内容によって、どの言語の割合が増えるかが変わる。
日本人が直面する「聞き取れない英語」の正体
KLに赴任した日本人が「マレーシア人の英語が聞き取れない」と言う場合、発音の問題もあるが、コードスイッチングが原因であることが多い。英語を聞いているつもりが、いつの間にかマレー語が混ざっていて、文の途中で意味が追えなくなる。
対処法は2つある。1つは頻出のマレー語単語を20〜30個覚えること。「tadi」「sudah」(もう)「belum」(まだ)「boleh」(できる)「tak」(〜ない)——これだけで会話の骨格がつかめるようになる。
もう1つは「Sorry, can you say that in English?」と聞き返すこと。マレーシア人は言語の切り替えに慣れているので、英語のみモードに切り替えることに抵抗がない。
言語と権力
マレーシア政府は公用語であるマレー語(バハサ・マレーシア)の使用を推進しているが、ビジネスの世界では英語が支配的だ。コードスイッチングはこの緊張関係の産物でもある。公式にはマレー語を使うべきだが、実用上は英語が便利。両方を混ぜることで、どちらの陣営も怒らせない——という無意識の政治的判断が、毎日の会話の中で行われている。
日本語しか持たない脳からすると異次元の処理だが、マレーシアではこれが当たり前だ。1つの言語で全てを表現するという前提自体が、単一言語国家の発想なのかもしれない。