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オランダの食卓に残る350年——インドネシア植民地支配の記憶と「Rijsttafel」

オランダのインドネシア料理店で出される「Rijsttafel(ライスターフェル)」は、350年の植民地支配が生んだ食文化です。インドネシアには存在しないこの料理が、オランダ社会の植民地主義の記憶とどう結びついているのかを辿ります。

2026-05-11
植民地インドネシア食文化

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アムステルダムで「インドネシア料理」を検索すると、レストランの数に驚きます。約700軒(KVK登録ベース)。中華料理に次いで多い外国料理カテゴリです。しかも、メニューの筆頭にあるのは「Rijsttafel(ライスターフェル)」——ライステーブルという意味のオランダ語。インドネシアにこの料理名は存在しません。

Rijsttafelとは何か

Rijsttafelは、白飯を中心に10〜40種類の小皿料理を並べるスタイルの食事です。サテー(串焼き)、ルンダン(牛肉の煮込み)、ガドガド(野菜のピーナッツソース和え)、サンバル(唐辛子ペースト)、クルプック(えびせん)——インドネシア各地の料理が一堂に並ぶ。

一見すると豪華なインドネシアの伝統料理に見えますが、その起源は19世紀のオランダ東インド植民地(現インドネシア)の支配層です。オランダ人入植者が、現地の料理人に「あらゆる種類の料理を同時に持ってこさせた」のがRijsttafelの原型。植民地の豊かさと権力を食卓で誇示する——そういう構造の料理でした。

350年の植民地支配

VOC(Vereenigde Oost-Indische Compagnie: オランダ東インド会社)が1602年に設立されてから、1949年にインドネシアが独立を承認されるまで、約350年。オランダはインドネシアの香辛料・コーヒー・砂糖・ゴムを搾取し、その利益でアムステルダムの運河沿いに邸宅を建てた。

黄金時代(Gouden Eeuw)のオランダ繁栄は、このインドネシアからの富に大きく依存していました。レンブラントが描いた裕福な商人たちの肖像画。その裕福さの源泉がどこにあったのか——アムステルダム国立美術館(Rijksmuseum)は近年、この文脈を展示に加えるようになっています。

引揚者と「Indisch」コミュニティ

1945〜1960年代、インドネシア独立に伴い約30万人のオランダ人・混血のインド系(Indische Nederlanders)がオランダに「帰還」しました。彼らの多くは2世・3世で、オランダ本国に行ったことがなかった。

この引揚者たちが持ち込んだのが、インドネシア料理の調理法と食文化です。今日のオランダ家庭で当たり前に使われるサンバル(唐辛子ペースト)、ナシゴレン(炒飯)、バミゴレン(焼きそば)——これらは全て、引揚者コミュニティを通じてオランダ社会に定着したものです。

スーパーマーケットのアルバート・ハイン(Albert Heijn)には「Wereldkeuken(世界の料理)」コーナーがあり、Conimex社やGo-Tan社のインドネシア調味料が棚ひとつ分を占めています。

「謝罪」をめぐる議論

2022年、オランダのマルク・ルッテ首相(当時)は、植民地時代の奴隷制について公式に謝罪しました。しかし、インドネシアにおける植民地支配全体についての包括的な謝罪は行われていません。

2025年現在も、オランダ国内ではこの問題が議論され続けています。博物館の展示方法、教科書の記述、そしてRijsttafelという料理そのものをどう位置づけるか——「植民地主義の遺産を楽しんでいいのか」という問いに、明確な答えはまだ出ていません。

食卓で歴史を食べる

アムステルダムのRijsttafel専門店に行くと、1人あたり30〜50EUR(約4,800〜8,000円)で20種類以上の小皿が出てきます。美味い。それは間違いない。

でも、サテーの串を口に運びながら「この料理は、植民地の支配者が被支配者に作らせた豪華な食事が起源だ」と知っていると、味が少し変わります。変わるべきなのかどうかも含めて。

オランダに住んでいると、この種の「楽しんでいいのか分からない植民地の遺産」にたびたび出会います。運河沿いの邸宅、美術館の絵画、博物館の収蔵品。そしてRijsttafel。

歴史を「なかったこと」にするより、食べながら考える方が誠実かもしれない——そう思うのは、日本にも似たような構造があるからかもしれません。

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