浚渫大国——オランダが「海底を掘る技術」で世界を支配している
世界の浚渫(しゅんせつ)市場の約40%をオランダ企業が占めています。海面下の国が生んだ、知られざる巨大輸出産業の実態を解説します。
この記事の日本円換算は、1EUR≒160円で計算しています(2026年4月時点)。為替は変動するので、現地通貨(EUR)の金額を基準にしてください。
オランダの国土の約26%は海面より低い場所にあります。「世界は神が作ったが、オランダはオランダ人が作った」——この国ではよく引き合いに出されるフレーズです。
しかし、あまり知られていないのは、この「水と闘う技術」がそのまま巨大な輸出産業になっていることです。
浚渫とは何か
浚渫(しゅんせつ、英語: dredging)は、海底や河床の土砂を掘り上げる作業です。港湾の水深を維持する、人工島を造成する、海底ケーブルを埋設する——こうした場面で浚渫船が活躍します。
地味な作業に聞こえますが、世界の貿易の約80%は海上輸送であり、港の水深が確保されなければ大型コンテナ船は入港できません。浚渫は、グローバル貿易の物理的なインフラです。
オランダ勢が世界を寡占
世界の浚渫市場(年間約150〜200億EUR、約2.4〜3.2兆円規模)の約40%をオランダ企業が占めているとされています。特にボスカリス(Boskalis)とファンオールト(Van Oord)の2社は、世界最大級の浚渫企業です。
ボスカリスの2023年度売上高は約37億EUR(約5,920億円)。バングラデシュの河川整備、シンガポールのテコン島埋め立て、ドバイのパーム・ジュメイラの造成——世界中の大型浚渫プロジェクトに、オランダの浚渫船が関わっています。
パーム・ジュメイラ(ドバイの椰子の木型人工島)は、ファンオールトとベルギーのDEME社が建設しました。約1億立方メートルの砂を海底から吸い上げて人工島を造った。この「砂を動かす量」は、ギザの大ピラミッドの約40倍に相当します。
なぜオランダなのか
800年以上にわたる干拓の歴史が、そのまま浚渫技術の蓄積になりました。13世紀からポルダー(干拓地)を造り続けたオランダには、水を制御する技術と組織のノウハウが文化レベルで染み付いています。
19世紀にゾイデル海を締め切って淡水湖(アイセル湖)に変えた大プロジェクトでは、海底から大量の土砂を浚渫して堤防を築きました。この経験がそのまま海外への技術輸出につながっています。
さらに、デルフト工科大学(TU Delft)の水利工学プログラムは世界トップクラスで、浚渫企業のエンジニアの多くがここの卒業生です。大学・企業・政府の三位一体が、この産業の優位を維持しています。
気候変動が追い風に
皮肉なことに、気候変動と海面上昇は浚渫産業にとって追い風です。海面が上がれば、沿岸防御のための堤防補強・砂浜再生(beach nourishment)の需要が増える。島嶼国の国土保全にも浚渫が必要になる。
オランダ政府は自国の海岸線を維持するために毎年約1,200万立方メートルの砂を北海の海底から浚渫し、海岸に「補充」しています(Rijkswaterstaat)。この技術を、バングラデシュやモルディブなど、海面上昇のリスクが高い国々に輸出しています。
在住日本人にとっての浚渫
アムステルダムやロッテルダムで暮らしていると、浚渫産業を直接目にする機会はあまりありません。しかし、ロッテルダム港(ヨーロッパ最大の港湾)の水深維持も、スキポール空港の滑走路の地盤補強も、浚渫技術によって支えられています。
オランダの就職市場では、ボスカリスやファンオールト、ロイヤルIHC(浚渫船の製造メーカー)といった企業がエンジニアを常時募集しています。機械・土木・海洋工学のバックグラウンドがある日本人にとっては、ニッチだが安定した就職先です。
チューリップ、チーズ、風車——オランダの「表の顔」はカラフルです。しかしこの国の最も稼ぐ技術は、誰の目にも見えない海底の泥を掘り起こす作業の中にあります。