リスタフェルという矛盾——オランダの食卓に残る植民地の記憶
オランダで最も人気のある「外食」はインドネシア料理です。Rijsttafel(ライスターフェル)と呼ばれる食事形式は、植民地時代のインドネシアで生まれ、オランダに逆輸入されました。その複雑な歴史を追います。
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オランダで最も一般的な「外食」は何か。ピザでもフレンチでもなく、インドネシア料理です。どの街にも1軒はあるインドネシア/中華インドネシア(Chinees-Indisch)レストラン。そして、その看板メニューが「Rijsttafel(ライスターフェル)」——直訳すると「ご飯のテーブル」。
白いご飯を中央に置き、周囲に10〜30種類の小皿料理を並べる形式。サテ(串焼き)、ルンダン(ビーフの煮込み)、ガドガド(ピーナッツソースのサラダ)、サンバル(唐辛子ペースト)、クルプック(えびせん)——インドネシア各地の料理を一度に味わえる。
しかし、このRijsttafelはインドネシアの伝統料理ではありません。植民地支配者が、植民地の食文化を「展示」するために作った形式です。
植民地の晩餐会
19世紀のオランダ領東インド(現在のインドネシア)。植民地のオランダ人富裕層は、現地のサーバント(使用人)に命じて、数十皿の料理を一度にテーブルに並べさせていました。料理の数は主人の権力を示すステータスシンボルであり、40〜50皿が並ぶこともあった。
各皿を運ぶサーバントは一列に並んで行進し、ゲストのテーブルに順番に料理を置いていく。この「行進」自体が見世物であり、権力の可視化装置だった。
インドネシアの家庭では、こういう食べ方はしません。インドネシアの家庭料理は、数品のおかずをご飯と一緒に食べるシンプルなもの。「30皿を一度に並べる」のは、植民地主がインドネシアの食文化を自分たちの権威に利用した結果生まれたフォーマットです。
本国への逆輸入
1949年のインドネシア独立後、約30万人のオランダ系インドネシア人(Indo)がオランダに移住しました。彼らが持ち込んだインドネシア料理が、オランダの食文化に深く根付きます。
Rijsttafelはインドネシアでの植民地生活の「ノスタルジア」として、オランダ国内のレストランで再現されました。12〜20皿程度に簡略化され、2人前25〜45EUR(約4,000〜7,200円)程度で提供される形に落ち着いた。
面白いのは、現代のインドネシア人がオランダのRijsttafelを見たときの反応です。「こんな食べ方はインドネシアではしない」「でも料理自体は本格的なものもある」——複雑な感想が返ってきます。
食文化に残る植民地の影
オランダの日常にインドネシアの影響は深く浸透しています。
- Nasi Goreng(ナシゴレン): オランダで最も人気のある家庭料理の一つ。スーパーでレトルトパウチが売られている
- Bami Goreng(バミゴレン): 焼きそば。同様にスーパーの定番
- Sambal(サンバル): オランダの家庭の冷蔵庫には高確率でサンバルのボトルがある
- Kroepoek(クルプック): えびせん。おつまみの定番
- Toko(トコ): インドネシア食材店。アムステルダムの東部(Oost)に集中している
これらは「エスニック料理」としてではなく、「オランダ料理」として認識されている場合も多い。ナシゴレンはオランダ人に「あなたの国の料理ですか?」と聞くと、半分以上が「はい」と答えるでしょう。
複雑さと向き合う
2022年、オランダのマルク・ルッテ首相(当時)は、オランダのインドネシア植民地支配における暴力行為について公式に謝罪しました。特に1945〜1949年のインドネシア独立戦争中のオランダ軍による組織的な暴力について、歴史研究の結果を受けての謝罪でした。
Rijsttafelを食べながらこの歴史を考える必要は必ずしもありません。でも、「なぜオランダにインドネシア料理がこんなにあるのか」という問いの答えは、300年以上にわたる植民地支配の歴史と切り離せない。
アムステルダムのDe Pijp地区やOost地区には、インドネシア出身の家族が経営するレストランが多数あります。観光客向けのRijsttafel専門店もありますが、小さな家族経営の店で「今日のおすすめ」を頼む方が、本来のインドネシア料理に近い体験ができます。
Rijsttafelは植民地の遺産であり、同時に移民がオランダの食文化を豊かにした証でもある。この矛盾を含んだまま、オランダ人は今日もナシゴレンを食べています。