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ロッテルダムが「未来都市」になった理由:1940年の爆撃から始まった建築実験

第二次世界大戦でドイツ軍に爆撃され、市街地をほぼ失ったロッテルダムは、その廃墟を近代建築の実験場に変えた。キューブハウスやマルクトハルなど、世界に類を見ない建築群の背景を読み解く。

2026-06-12
ロッテルダム建築都市デザイン戦争

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ロッテルダムの旧市街地を探しても、見つからない。1940年5月14日、ドイツ軍の爆撃で旧市街の約2.6平方キロメートルが焼失したからだ(出典:ロッテルダム市公文書)。アムステルダムやハーグには今も17〜18世紀の運河沿い建築が残るが、ロッテルダムにはない。

この破壊が、逆説的にヨーロッパで最も大胆な建築実験の舞台を生み出した。

廃墟から始まった都市計画

戦後の復興計画は「もとに戻す」ではなく「新しく作る」を選んだ。市は建築家に向かって「ここで試してみろ」と言ったようなものだった。

1984年に完成した「キューブハウス(Kubuswoningen)」は、38個の立方体を45度傾けて柱の上に乗せた集合住宅だ。設計はピート・ブロム。内部はもちろん住宅として機能しており、一部は現在も居住者がいる。観光用に内部公開しているキューブハウスもある。

2014年に完成した「マルクトハル(Markthal)」は、馬蹄形の巨大なアーチ状建築物で、内部に市場とアパートが共存する。天井には巨大なデジタルアート「鷲の頭」が描かれており、オランダの食の多様性をモチーフにしている。

「高さ競争」の都市

アムステルダムは条例で高層ビル建設を制限している地域が多いが、ロッテルダムは積極的に高層化を推進してきた。欧州有数の高層ビル密集地区として、150m超の建物が複数並ぶ「クール地区」はヨーロッパ的には異色の光景だ。

これはロッテルダムが「ヨーロッパの玄関口」として機能する港湾都市であることとも関係する。規模と効率を優先した都市設計が、景観より機能を選んだ。

建築ツーリズムという産業

ロッテルダムはアーキテクチャー・ツアーを売りにした観光産業を育ててきた。毎年夏に開催されるオープン・ハウス・ロッテルダムでは、普段非公開の建築物内部を見学できる。

オランダ建築博物館(Het Nieuwe Instituut)も市内にあり、建築とデザインの国際的なリソースとして機能している。

アムステルダムに「飽きた」人たちが向かう場所

在住日本人の間では、ロッテルダムはアムステルダムより「落ち着いた都市」として語られることが多い。家賃も安く(推定:アムステルダム比30〜40%安)、人口も少なく(約66万人)、国際色はアムステルダムに劣るが多文化であることは変わらない。

アートやデザインに関心がある人、港町の無骨な空気が好きな人にはロッテルダムが合うかもしれない。爆撃によって奪われた歴史が、皮肉にも豊かな建築の現在を生み出した——この逆説の上にロッテルダムは立っている。

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