不法占拠が「住宅政策」だった時代|オランダのスクウォット運動と住宅危機
オランダでは2010年まで空き家の不法占拠(kraak)が実質的に容認されていた。住宅不足への抗議運動として機能したスクウォットの歴史と、現在の住宅危機への接続を辿る。
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2010年まで、オランダでは1年以上使われていない空き家に住み着くことが、条件付きで合法だった。鍵を壊して侵入するのは犯罪だが、開いているドアから入り、ベッドとテーブルを持ち込めば「居住」と見なされ、所有者が追い出すには裁判所の命令が必要だった。
信じがたい話だが、アムステルダムではこの仕組みが数十年にわたって機能していた。
1960年代の始まり
スクウォット運動(kraakbeweging)は1960年代にアムステルダムで始まった。戦後の住宅不足が続く中、投機目的で空き家のまま放置されるビルが増えていた。「住む家がない人がいるのに、空き家が放置されるのはおかしい」。この論理が運動の出発点だ。
1980年4月30日、ベアトリクス女王の即位式の日に、アムステルダムで大規模なスクウォッター暴動が発生した。「Geen woning, geen kroning(住む家がなければ戴冠式もない)」というスローガンが叫ばれた。
文化的なインフラになったスクウォット
単なる住居確保にとどまらず、スクウォットされたビルはカフェ、ライブハウス、アートスタジオ、コミュニティセンターとして機能した。アムステルダムの有名なカルチャースポットの中にも、元スクウォットの施設が残っている。
OT301(ヴォンデルパーク近くの映画館跡を占拠したカルチャーセンター)やADM(港湾エリアの元造船所)は、スクウォッターが作った空間がそのまま文化施設になった例だ。
2010年の禁止と現在
2010年にスクウォットは正式に違法化された(kraakverbod)。しかし、禁止後も散発的にスクウォットは起きている。住宅危機が深刻化する中で、「違法だが、問題の本質は別にある」という認識が一部に残っている。
2025年時点でアムステルダムの住宅待機リストは平均13年。社会住宅(sociale huurwoning)に申請してから入居できるまで13年待つということだ。アムステルダム以外でも、ユトレヒトで7年、ロッテルダムで5年程度の待機期間がある。
住宅危機の現在地
オランダ全土で約40万戸の住宅が不足しているとされる。政府は2030年までに90万戸の新築を目標にしているが、建設業界の人手不足、資材価格の高騰、窒素排出規制(stikstofcrisis)による建設許可の遅延で、目標達成は困難と見られている。
民間の賃貸市場はEUR1,500〜2,500/月(約24万〜40万円)が相場で、年収の30%以上を家賃に費やす世帯が増えている。
スクウォットは違法になったが、スクウォットが抗議していた問題は何も解決されていない。むしろ悪化している。
歴史が示すもの
スクウォット運動を「若者の反抗」と片付けることはできない。オランダの住宅政策の空白を、市民が違法な手段で埋めていた歴史だ。
現在のアムステルダムで暮らす在住者にとって、住宅探しは最大のストレス源の一つだ。13年の待機リストを前にすると、かつてのスクウォッターの論理が少しだけ理解できるかもしれない。