Kaigaijin
海外在住日本人のメディア
社会・政治

オランダの「寛容」は本当か——自由の国が抱える移民排斥のパラドックス

同性婚・安楽死・大麻を世界で最も早く合法化したオランダ。しかし移民排斥を掲げる極右政党が第1党になった。自由の国の内側を構造的に読み解く。

2026-05-03
寛容移民政治社会構造オランダ文化

この記事の日本円換算は、1EUR≒160円で計算しています(2026年5月時点)。為替は変動するので、現地通貨(EUR)の金額を基準にしてください。

オランダは2001年に世界で初めて同性婚を合法化した。同じ年に安楽死法も施行している。大麻のコーヒーショップは1970年代から事実上容認されていた。「世界一寛容な国」というイメージは、こうした法制度の積み重ねで作られてきた。

しかし2023年11月の総選挙で、移民排斥を掲げるPVV(自由党)のヘルト・ウィルダースが第1党に躍り出た。「コーランを禁止しろ」と公言する政治家が率いる党だ。寛容の国で何が起きているのか。

「寛容」の定義が違う

オランダ語の「tolerantie」は、英語のtoleranceと同じ語源だが、ニュアンスが微妙に異なる。「認めている」のではなく「黙認している」に近い。大麻のコーヒーショップは合法ではなく「取り締まらない方針(gedoogbeleid)」で運営されている。売春も2000年に合法化されたが、それは「認めたから」ではなく「管理するため」だ。

つまりオランダの寛容さは「何でも歓迎する」という価値観ではなく、「放っておく方が合理的」という実利判断の産物である面が大きい。この区別を見落とすと、移民排斥との矛盾が理解できなくなる。

柱社会(Verzuiling)の遺産

オランダには20世紀を通じて「柱社会」と呼ばれる社会構造があった。カトリック、プロテスタント、社会主義、リベラルの4つの「柱」がそれぞれ独自の学校、新聞、労働組合、放送局を持ち、柱の中で完結した生活を送る。柱同士は干渉しないが、国家レベルの意思決定ではエリート同士が交渉する。

この「お互いに干渉しない」仕組みが、オランダ的寛容の原型だ。共存するが混ざらない。1960年代以降に柱社会は崩壊したが、「自分のやり方は自分で決める、他人には口を出さない」という感覚は残った。

移民の増加と摩擦

1960〜70年代にトルコ・モロッコから大量の労働移民が来た。当初は「一時的な滞在」と見なされていたが、家族呼び寄せで定住が進み、第2世代・第3世代が生まれた。アムステルダムの人口の約56%が移民の背景を持つ(2023年、CBS統計)。

摩擦が表面化したのは2000年代だ。2004年に映画監督テオ・ファン・ゴッホがイスラム過激派に殺害される事件が起き、「寛容が限界を迎えた」という言説が広がった。政治家ピム・フォルタイン(2002年暗殺)も移民批判で支持を集めた人物で、ウィルダースのPVVはこの流れを引き継いでいる。

パラドックスの構造

「寛容な社会は、不寛容な価値観に対しても寛容であるべきか」——哲学者カール・ポパーが定式化した「寛容のパラドックス」が、オランダでは現実の政治問題になっている。

ウィルダースの支持者の多くは、自分たちを「不寛容」だとは考えていない。「オランダの自由を守るために、自由を脅かす勢力を排除する」という論理だ。同性愛者の権利を守るために、同性愛を認めない文化圏からの移民を制限する——この主張は、オランダ的寛容の論理構造と矛盾しない。矛盾しないからこそ厄介だ。

在住者として見る風景

日常生活では、オランダの多文化共生は機能している場面が多い。アムステルダムのデ・パイプ地区ではトルコ系の八百屋とインドネシア料理店と日本のラーメン屋が同じ通りに並ぶ。スーパーのAlbert Heijnには30カ国以上の食材コーナーがある。

ただ、住むエリアによって見える風景は違う。アムステルダム南東部(Bijlmer)とアムステルフェーン(日本人が多い郊外)では、「オランダの多文化」の意味が変わる。統計上の寛容度と、隣人との日常的な摩擦は別の話だ。

ラベルで判断しない方がいい。「オランダは寛容な国」も「オランダは実は差別的」も、どちらも一面的すぎる。この国は今、自分自身の寛容さの定義を書き直している最中だ。

コメント

読み込み中...