VOCの亡霊|オランダの植民地時代が現代に残すもの
東インド会社(VOC)は世界初の株式会社にして世界初の多国籍企業。その遺産は博物館の展示だけでなく、オランダの都市構造、食文化、移民コミュニティに今も刻まれている。
この記事の日本円換算は、1EUR≒160円で計算しています(2026年4月時点)。為替は変動するので、現地通貨(EUR)の金額を基準にしてください。
1602年に設立されたVOC(Vereenigde Oost-Indische Compagnie、オランダ東インド会社)は、世界初の株式を発行した企業だった。時価総額を現在の貨幣価値に換算すると約78兆ドル——Apple、Google、Amazonを合算しても届かない規模だったとする試算がある。
400年以上前に消滅した会社が、なぜオランダの今を語るうえで避けて通れないのか。
街に埋め込まれた植民地の記憶
アムステルダムの運河沿いに並ぶ17世紀の豪邸。その多くは東インド貿易で富を築いた商人の邸宅だった。現在のアムステルダム国立美術館(Rijksmuseum)に展示されるレンブラントの「夜警」も、この富の時代に描かれた。
通りの名前にも残っている。アムステルダムのインディッシュ地区(Indische Buurt)は、スマトラ通り、ジャワ通り、バリ通りなど、旧植民地の地名で埋め尽くされている。
これは日本でいえば、住宅街の通りに「満州通り」「朝鮮通り」と名付けるようなもの。しかし、近年まで多くのオランダ人はこれを「歴史の一部」として深く考えずにいた。
食卓に残る植民地
オランダ料理の定番「rijsttafel(ライスターフェル)」は、インドネシア由来の料理をオランダ式にアレンジしたもの。ご飯を中心に10〜20種類の小皿が並ぶ豪華な食事で、植民地時代にオランダ人入植者が現地の多様な料理を一度に楽しむために作り出した形式だ。
ナシゴレン、サテ、クロケット。オランダの日常食にインドネシアの影響は深く浸透している。スーパーのAHにも「Conimex」ブランドのサンバルやピーナッツソースが棚に並ぶ。
これを「文化交流の成果」と見るか「収奪の副産物」と見るかは、立場によって変わる。だが、食卓から植民地の痕跡を取り除くことは、もはや不可能だ。
脱植民地化の遅い歩み
オランダでは、植民地時代の再評価が本格化したのは2010年代に入ってからだ。イギリスやフランスと比べて、この議論のスタートは遅い。
理由のひとつは、オランダの自己イメージにある。「私たちは寛容な国だ」「私たちの植民地支配は他国ほど暴力的ではなかった」——こうした認識が、内省を遅らせた。
転機は2022年。ルッテ首相(当時)がオランダの奴隷制の歴史について公式に謝罪した。1863年の奴隷制廃止から160年目のことだった。
移民コミュニティとの現在
スリナム系、インドネシア系、モルッカ系——旧植民地にルーツを持つ人々は、オランダ社会に深く組み込まれている。特にスリナム系コミュニティはアムステルダム南東部に集中し、独自のフェスティバルや料理文化を維持している。
これらのコミュニティの存在自体が、植民地時代の直接的な帰結だ。モルッカ系住民は、インドネシア独立後にオランダに「一時的に」移住させられ、そのまま定住した。「一時的」が70年以上続いている。
歴史は博物館に収まらない。通りの名前に、食卓に、隣人の顔に、今も続いている。オランダに住むとは、この重層的な時間軸の中に自分を置くことでもある。