ハリウッドが南半球にやってきた理由——ウェリントンの映画産業の内側
『ロード・オブ・ザ・リング』だけではない。Weta Workshop、税制優遇、そして人口50万の都市がなぜ世界の映画産業拠点であり続けるのかを読み解きます。
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ウェリントンは人口約21万人の小さな首都だ。風が強くて、冬は寒くて、東京やロサンゼルスのような華やかさはない。にもかかわらず、この街から『ロード・オブ・ザ・リング』三部作、『アバター』の視覚効果、『猿の惑星』シリーズ、複数のマーベル作品の特殊効果が生まれている。世界のVFX産業の歴史に刻まれた場所が、南半球の端にある。
Weta Workshop——ガレージから世界トップへ
1993年、ピーター・ジャクソン監督と特殊効果アーティストのリチャード・テイラーが設立したWeta Workshopは、最初は小さなスタジオだった。『ロード・オブ・ザ・リング』の制作で一気に世界的な存在になり、アカデミー賞を複数回受賞した。
Weta Workshopが作るのは、プロップ(小道具)、プロテーゼ(特殊メイク)、ミニチュア、衣装——デジタルではなくフィジカルなものづくりが中心だ。デジタルVFXを担当するWeta Digital(現Weta FX)は別会社として成長し、2021年にUnityに約NZ$23億(約2,116億円)で買収された。
なぜウェリントンから動かないのか
ハリウッドのスタジオはWeta FXのチームをロサンゼルスに呼びたがった。しかしピーター・ジャクソンはウェリントンに残ることを選んだ。理由はいくつかある。
生活コストがLAの数分の1であること。渋滞のない通勤環境。そして「ハリウッドの政治」から物理的に離れていることで、クリエイティブな判断に集中できるという利点。ジャクソン自身が「距離が創造性を守っている」と語っている。
NZ政府の映画誘致戦略
NZ政府は映画産業の誘致に税制優遇を用意している。ニュージーランド・スクリーン・プロダクション・グラント(NZSPG)は、NZ国内での制作費の最大25%をリベートとして返還する制度だ。この数字は国際的に見ても競争力がある。
さらに、NZには撮影に適した多様な地形がコンパクトにまとまっている。雪山、火山、熱帯雨林、海岸、草原——車で数時間の移動圏内にこれだけのバリエーションがある国は珍しい。ロケ地のスカウティングコストが圧倒的に低い。
ウェリントンで映画産業に触れる
在住者にとって映画産業は身近な存在だ。ウェリントンのミラマー地区にはWeta Workshopのスタジオツアーがあり、映画制作のプロセスを実際に見学できる。街のカフェでVFXアーティストがノートPCで作業している光景も珍しくない。
年に一度開催されるニュージーランド国際映画祭(NZIFF)はウェリントンとオークランドが会場で、NZ映画の新作だけでなく世界各国のインディペンデント映画が上映される。映画好きにとっては貴重な文化的イベントだ。
「小さな国の大きな物語」の経済学
NZの映画産業がGDPに占める割合は大きくはない。だがその波及効果は数字以上だ。観光収入(「ホビトン」の年間訪問者数は約65万人)、国際的なブランドイメージの向上、VFX人材の集積による技術力の維持——小さな国が世界の文化産業に名前を刻む方法の一つとして、NZの映画戦略は興味深いケーススタディだ。
世界の端にある小さな首都が、世界中の映画館で見る映像を作っている。この事実を知ると、ウェリントンの風の強い街並みが少し違って見える。