海外で10年以上生きると、どの国にも完全に属さなくなる
サードカルチャーキッズ(TCK)の研究を成人移住者に当てはめる。長期海外在住者が感じる「どこにも属さない」感覚の正体を心理学と社会学から読む。
海外に10年以上住んだ日本人が一時帰国すると、奇妙な感覚に襲われることがある。日本が「外国」に見える。でも住んでいる国が「自分の国」かと聞かれると、それも違う。どこにも完全には属していない。
これは感傷的な話ではなく、心理学で研究されている現象だ。
サードカルチャーキッズ(TCK)
社会学者のルース・ヒル・ユーシームとジョン・ユーシームが1950年代に提唱した概念に「サードカルチャーキッズ(Third Culture Kids、TCK)」がある。
TCKとは、両親の出身国(第一文化)でも居住国(第二文化)でもない、「第三の文化」の中で育った子どもを指す。外交官の子ども、駐在員の子ども、宣教師の子ども——幼少期に複数の国で暮らした経験を持つ人々だ。
TCKの特徴として報告されているのは以下のようなことだ。
- 複数の文化に適応する能力が高い
- でも、どの文化にも完全に帰属できない感覚を持つ
- 「Where are you from?(出身は?)」という質問に答えるのが難しい
- 同じTCK同士で強い共感を持つ
この研究は主に子ども時代に国を移動した人を対象にしている。でも、大人になってから10年以上海外に住んだ人にも、同じ現象が起きている。
成人移住者のアイデンティティ変容
TCKは子ども時代にアイデンティティが形成される段階で複数文化に触れるから変容が起きる——と説明されることが多い。では、大人になってからの移住ではアイデンティティは変わらないのか。
変わる。
心理学者のアダム・グラントらの研究では、海外居住経験が性格特性(ビッグファイブ)に影響を与えることが示されている。特に「開放性(Openness to Experience)」が上昇する傾向がある。新しい経験への受容性が高まり、思考の柔軟性が増す。
でもそれだけではない。長期海外在住者は、自分のアイデンティティの構成要素が変わっていく。
日本にいたとき、「日本人であること」はアイデンティティの基盤であり、意識することすらなかった。海外に出ると、「日本人であること」が相対化される。「自分は日本人だ」と意識的に認識するようになり、やがて「でも、どのくらい日本人なのか?」という疑問が生まれる。
帰国しても「戻れない」理由
5年、10年と海外に住んだ後に日本に帰ると、ズレを感じる。
満員電車の暗黙のルール。会議での空気の読み方。「とりあえずビール」の文化。サービス業の丁寧さの過剰さ。——かつて当たり前だったことが、「なぜこうなっているのか」と疑問に思えてくる。
これは日本が変わったからではない(もちろん変わっている部分もあるが)。自分の「基準線」が変わったのだ。海外で「別のやり方」を経験したことで、日本のやり方を「唯一の正解」として受け入れられなくなっている。
帰国者が感じる違和感の正体はここにある。日本語は流暢に話せる。見た目も日本人だ。でも「内面の基準」が変わっているから、以前と同じようには振る舞えない。周囲は「同じ日本人」として接してくるが、自分はもう「以前の自分」ではない。
「第三の文化」に住む人たち
TCKの「第三の文化」は、どの国の文化でもない、移動する人々の間で共有される文化だ。
長期海外在住者にも同じものが生まれる。シンガポールに住む日本人と、ロンドンに住む日本人と、ニューヨークに住む日本人が集まると、居住国は違っても共通する感覚がある。「日本にいると息が詰まる」「でも完全に現地人にもなれない」「一時帰国のたびに距離を感じる」——この感覚は居住国を問わず共有される。
彼らが属しているのは特定の国ではなく、「複数の文化の間にいる」というポジションそのものだ。
これは「問題」なのか
「どこにも属さない」と書くとネガティブに聞こえるが、必ずしもそうではない。
研究では、多文化経験者は創造性が高い傾向がある。異なる文化の概念を組み合わせる能力(conceptual combination)が鍛えられるからだ。ビジネスでは「複数の市場を理解している」という能力は明確な価値になる。
また、「どこにも完全に属さない」ことは「どこにでもある程度適応できる」ことの裏返しでもある。根無し草のように見えて、実はどの土壌にも根を張れる柔軟性を持っている。
ただし、この柔軟性にはコストがある。「深い帰属感」を持ちにくいことだ。特定のコミュニティに深く根ざした安心感——お盆に実家に帰って親族に囲まれる感覚、地元の祭りに参加する感覚——こうしたものが薄れていく。
「適応」ではなく「変容」
海外生活の長期化は「異文化への適応」という段階を超えて、「自分自身の変容」に至る。
適応は「外部に合わせる」行為。郷に入っては郷に従う。でも変容は「内部が変わる」現象。従うのではなく、自分の基準そのものが書き換わる。
この変容に気づくのは、たいてい帰国したときだ。「あれ、自分は日本人じゃなくなっている」——この感覚は最初は不安を伴う。でもやがて、それが「成長」なのか「喪失」なのかを自分で決める段階が来る。
どちらでもあり、どちらでもないというのが、正直な答えだと思う。
同じ立場の人はたくさんいる
「どこにも属さない」感覚を持つ人は、世界中にいる。外務省の「海外在留邦人数調査統計」によれば、海外に住む日本人は約130万人(2024年)。そのうち永住者は約60万人で、増加傾向にある。
この60万人の多くが、程度の差はあれ「第三の文化」の住人だ。日本でもなく、居住国でもない、その間のどこか。
この感覚は孤独に感じやすいが、同じ感覚を持つ人は実は大勢いる。そしてその感覚を共有できる相手と出会ったとき——国籍も居住国も違うのに「わかる」と頷き合える瞬間——が、第三の文化の中で生きている証だと思う。