NISAとCPFは同じ問題を解いているのに、なぜこんなに違うのか
日本のNISAとシンガポールのCPFはどちらも「老後資金」という共通課題に向き合っている。任意vs強制、使途自由vs制限付きの設計差異を比較し、両方の視点から制度の功罪を考える。
日本のNISAとシンガポールのCPFは、表面上は全く別の制度だ。だが解こうとしている問題は同じ。「国民の老後資金をどう確保するか」。設計のアプローチがここまで違うのは、両国が国民をどう信頼しているか(あるいは信頼していないか)の差が出ている。
共通の課題: 老後資金が足りない
日本もシンガポールも、公的年金だけでは老後資金が足りない。
日本: 老齢基礎年金の満額は月約68,000円(2025年度、日本年金機構)。厚生年金を加えても平均受給額は月約14.5万円。「老後2,000万円問題」(金融庁、2019年)が話題になった通り、公的年金だけでは生活水準を維持できない。
シンガポール: CPFのRetirement Account(RA)に積み立てた資金がCPF LIFEを通じて終身年金として支払われる。2025年時点のBasic Retirement Sum(BRS)はSGD 106,500(約1,320万円)。Full Retirement Sumはその2倍のSGD 213,000。だが実際の受給額は月SGD 800〜2,000程度で、シンガポールの生活コストを考えると十分とは言えない。
設計の分岐点: 任意 vs 強制
| 項目 | NISA(日本) | CPF(シンガポール) |
|---|---|---|
| 加入 | 任意 | 強制(全雇用者・被雇用者) |
| 拠出上限 | つみたて投資枠120万円/年 + 成長投資枠240万円/年 | 給与の37%(雇用主17% + 従業員20%、55歳以下) |
| 運用の自由度 | 自分で商品を選ぶ | 政府が指定した範囲内(CPF-IS経由で一部投資可) |
| 引き出し | いつでも自由 | 55歳以降、条件付き |
| 税制優遇 | 運用益非課税 | 拠出時・運用時・受取時すべて非課税(EEE型) |
| 元本保証 | なし(投資リスクは自己負担) | OA 2.5%、SA 4%の最低利率保証 |
NISAは「やるかどうかは自分で決めてください」。CPFは「全員強制参加、引き出しは55歳以降」。
NISAの自由、CPFの拘束
NISAは使途に制限がない。運用益は非課税だが、いつでも売却して現金化できる。老後資金のためではなく、旅行資金のためにNISAで投資信託を買うことも可能だ。
CPFは使途が厳格に制限されている。
- Ordinary Account(OA): 住宅購入・教育費・投資
- Special Account(SA): 退職後の資金。55歳までロック
- Medisave Account(MA): 医療費・医療保険
- Retirement Account(RA): 55歳時にOAとSAから移管。CPF LIFE用
「自分の金なのに自由に使えない」。シンガポールでCPFに不満を持つ駐在員や現地採用者は多い。月給の20%が天引きされ、住宅購入以外では55歳まで引き出せない。
日本にいてCPFを羨む人、シンガポールでCPFを呪う人
日本側から見ると、CPFは魅力的に映ることがある。
- 雇用主が17%を上乗せしてくれる(日本の企業年金がある企業以外、これほどの上乗せはない)
- 最低利率2.5%が保証されている(日本の定期預金は0.1%程度)
- 強制積立なので「老後資金を使い込む」リスクがない
しかしシンガポール側からは、こうした声がある。
- 30歳で貯めた金を55歳まで使えない。その間に起業資金が必要でも引き出せない
- 住宅購入にCPFを使うと、売却時にCPFに返還する必要がある(利息分も)。実質的に政府に金を貸しているのと同じ
- 移民としてシンガポールを離れる場合、CPFの全額引き出しにはPR放棄が必要
制度設計に表れる「国民への信頼度」
NISAは「国民は合理的な判断ができる」という前提で設計されている。投資するかどうか、何に投資するか、いつ引き出すかは全て個人の判断。その結果として老後資金が足りなくなっても、自己責任。
CPFは「放っておくと国民は貯めない」という前提で設計されている。強制天引き、使途制限、引き出し年齢の制限。パターナリスティック(温情主義的)なアプローチだ。
どちらが「正しい」かは立場による。
日本のNISA口座開設数は2024年末で約2,500万口座(金融庁)。人口の約20%だ。残りの80%はNISAを使っていない。任意制度の限界がここに出ている。
シンガポールのCPF加入率は雇用者の100%。全員が積み立てている。だがCPF残高の中央値はSGD 93,000(約1,150万円、50代後半のアクティブメンバー)で、老後の十分な資金とは言いにくい。
海外移住者にとっての実際の影響
日本人がシンガポールのEPホルダーとして働く場合、CPFには加入できない。日本のNISAも、非居住者になると新規投資ができなくなる(既存の保有分は維持可能)。
つまり、海外移住した日本人は「どちらの制度の恩恵も受けられない」状態になる。
この空白を埋めるのは自己責任だ。SRS(Supplementary Retirement Scheme)、海外の証券口座、日本の年金任意加入など、自分で退職後の資金計画を組み立てる必要がある。
NISAとCPFの比較は、「どちらが優れているか」という議論より、「自分が今どちらの制度にもカバーされていない状態なのか」を認識するきっかけとして有用だ。